<風船の徘徊 7>  「役者の世界」内と外


1. 学生好みの会話

大学2年生の時、寮は二人部屋だった。
私は北海道出身の文学部(東洋史志望)のYと同室だった。
Yはクラスの人気者だったらしく、
文学部の同じクラスの学生たちがよく訪ねてきた。
彼らの話を聞いたり、その話に交ったりするのが面白かった。
学部の枠を越える交友は結構楽しいものだが、寮生活はそのことを可能にする。
全学部の学生が毎日顔を突き合わせているからだ。

Yは高校時代演劇部に関わったらしく演劇の話が好きだった。
私の大学には「創造座」「風波」という名の2つの学生劇団があって
活発に活動していた。
スタニラフスキーの演劇理論が流行っていた頃で、(1958年の話だが)
ある日、Yが夢中に演劇論を話すのに耳を傾けたことがあった。

彼から演劇についていろいろ話を聴いたのが、私の「演劇入門」の、
いや入門の以前の段階として「門前」に立った最初だった。

私は当時演劇らしい「演劇」を観たことがなかったのだから、私にとって
「演劇理論」は まさに「門前の小僧の習わぬお経」の類であった。

その時の会話の要点は、次のようなものだった。

Y「舞台の上で役者は、演ずる人物になりきらねばならない。」
「まねて演じるのではない。」

M「ほんとうに成り切ったら、殺人犯の役なら
本当に舞台で殺してしまうじゃあないか。」

Y「いいことを言う。その点が(演劇理論の)大問題なのだよ。」
(彼は私の反応を面白がって、熱っぽく演劇論を続けた。)

60年を経てなお、その日のことを思い出すのは、
その後私も演劇好きの仲間入りを果たしたからかもしれない。


2.私の演劇鑑賞への関心と出発点

確かに役に成り切って演じることが必要だ。
でないと観客は演劇に魅せられない。では、

(1) 役になりきるとは、どういうことか ?
(2) どうすれば、それが可能か ?

それは「演劇」において本質的な問題に違いないと、私は思い続けてきた。

きっと演ずるものは、役者も演出家も、この「問題意識」でもって、
たえず努力し切磋琢磨を続けているに違いないと考えてきた。

だから、私はそれと意識せずとも自ずと、
舞台上の演劇本体を観るとともに、その裏面にあるはずの
彼らの「役に成り切る努力」というものにも
常に想いを馳せるようになっていた。

時々、次のような言葉を聞くことがあるだろう。

A 「あんなに複雑で長い台詞をよく覚えられるものだ。
しかも自分の心の内にあることを言葉にするように
緩急自在に語っている。」

B 「(物まねなんてものではない。)本物以上に本物らしい演技だ。」

C 「あの演技は人技ではないね。「演劇の神様」かなんかが
役者にのり移って、役者に演じさせているようだ。」

誰もがうまく表現できず もどかしく感じるのだが、
観客が魂を抜かれたように茫然として吐く言葉の数々にも、
役者の名演技への「驚きと不思議」が込められることがある。

決してめずらしいことではない。

しかし、それは「舞台の上で表現されたもの」を中心に語られている。

観客は、その驚きに打ちのめされることを期待して劇場に足を運ぶのだろう。

多くの観客はそれに満足し、劇場を後にして家路を辿る。

その満足と喜びの余韻を抱くようにしながらも、
「非日常の世界」から日常の世界に足早に戻っていく。

その際、前記の(1)(2)の問題を関わらせて、
「演技」に想いをめぐらせることは少ない。


演劇鑑賞であれ、映画鑑賞であれ、鑑賞とはそういうことなのかもしれない。

鑑賞する側に「理論」を持ち込むのは、「青臭い話」だ、
というのが大方の意見なのだろう。

だが、少々理屈っぽい私は客席にありながらも、
舞台がどんな「舞台裏の秘密」を含みながら成立しているのか、
ほんの少しでも、そのセオリーを覗き見したいと思うのである。

私なりの演劇の楽しみ方である。


3. 役に成り切るためのポイント

最近、たまたまTVで、
劇団民芸の「奈良岡朋子」と いけばな草月流第4代家元の「勅使河原茜」の
ビッグ対談、番組「 SWITCH インタビュー」を観た。

勅使河原茜のお母さんが、かつて女優であり奈良岡の親友であった。
奈良岡は幼い頃の彼女や彼女の父をよく知っているということから、
企画された「なごやかな」対談でもあった。

これとは別に、もうひとつ「大竹しのぶ」が
大泉洋からインタビューを受けるTV番組「SONGS」も観た。
(大竹は歌も巧い、両刀使いだ。演劇「ピアフ」を演じて好評だった。
「ピアフ」は2011年初演、栗山民也演出。
「シャンソン歌手エディット・ピアフの生涯」を描いたもの、)
 
何を大切にして役者人生を歩むかという問に向けて、

ベテラン奈良岡朋子は、あくなき「人間観察」を挙げる。

奈良岡は「電車の中でわたしの前の席で化粧を始めた若い女の子は気の毒。 
わたしはずーっと目を離さないですべてを観察するのですから」
と一例を挙げていた。

大竹しのぶの場合は、憑依型女優とも言われる「都市伝説」の真相を問われた
後、最後にこれから役者として何を大切にして歩むかと問われ、

「自分を大きくすること」と短く答え、はにかむような表情で 笑ってみせた。

2つの番組は
1つ目は、実質は大物同士の「自由な対談」、
2つ目は リズミカルなインタビューへの「即応即答型」
という性格の差があったが、私は十分楽しんだ。

奈良岡は、鋭い人間観察によって、外部から
「役作りのための多彩な芸の元種」を得る努力を、

大竹は、「芸の元種」を自らの芸に結実する役者の器を意識して、
自分という「人間を大きくする」ことへの願いを、

それぞれ語ったのだった。

基本は、多様な人間を鋭く観察することにあるのだろうが、その観察がどう芸
に結実するかは、役者の「人間性」と「人間的な能力」に大きく関わっている。

仮に、奈良岡と大竹が、別々に同じ役に挑んだと想像してみよう、

たとえば、「アアンナ・カレーニナ」

二人のアンナ・カレーニナは、同じ役でありながら、まったく
「別の雰囲気を身に纏って」舞台に現れるだろう。

奈良岡は奈良岡の「アンナ」を、
大竹は大竹の「アンナ」を
演じるだろう。

私たちは二人の2つの演劇を観て、演劇というものの不可思議な魅力に、
いっそう興味を深めるに違いない。

そこに役者の個性をみる。
人間のうちに潜む芸術的な表現力の豊かさに驚く。

私たちは、そうして人として生きる幸せを感じることになる。


4. ミイラ取りがミイラに

以前に、英国のある大学(オックスフォード? ケンブリッジ?)が行った人間
の心理についての市民向け公開講座を記録したTV科学番組(NHK)を視たこと
がある。

たしか「人の性格は変えられる」がテーマだったと記憶する。

その中で現実におきた「実話」として講師が報告した事例なのだが、

ある俳優が精神病患者の役を演じることになり、
その「役作り」・「役になり切る」という目的から、
患者の挙動を間近で見習いたいたいと願い、
精神病棟内で「患者と同じ生活」をしたところ、
役者本人自身が「精神病患者」になってしまった。

というのだ。

朱に交われば赤くなる、の喩えのように、
観察の「主体」である役者が、観察の「対象」である精神病患者に
なって(=同化して)しまったというのだ。

この役者は「患者の役になり切る」ために、生活を共にして「自分と精神病患者
との同一化」を図ろうと意図して、懸命になったのであろう。

その思い込みと行動の激しさには、想像を絶するものがあるが、

その挙げ句の果てに、彼自らの「健全な生命力」そのものを使い尽し、
患者との同化は果たしえたものの、
それ故に自ら精神に異常をきたしてしまったのだ。

そこまでいくと元も子もない。
ミイラ取りがミイラになる類だ。
役作りの努力はすべて「完全なる失敗」に帰す。

本当に精神病患者に「なり切って」しまった役者に、
精神病患者の「役」を演じることなど、できようはずはない。


「演劇は虚構の世界」である。
役者が役になり切るのも、「虚構の世界」で役になり切る、ということだ。

学生時代の友人Yが「演劇の大問題」だと言ったのと同じ問題が
ここにも顔を出している。

「風船の徘徊5」で述べた心のなかの「二人の私」の理屈は
ここでも機能する。

「私A」が「役になり切り」、
「私B」が虚構の世界の枠組みでのことであるという立場から
「Aを監視する」という「関係性と役割分担」が必要なのだ。

この場合、「A」は役者であり、「B」は演出家に相当する。

ここでもABが「私」である。
健全な「私」が存在するために、ABが「私」の中で健全に同居し、
健全な会話を相互に交わしていることが必要がある。

5. 一期一会

老いが進むと「目・耳」の視聴機能が衰える。
機械でも、なんでもそうだが、本体より部品の不具合が先立つ。
だから演劇や映画との縁も徐々に薄れていく。
自然な成り行きだ。

「命短し・・」なら、そして、映画であれ演劇であれ、
まだ「視ること・聴くこと」の可能性がいささかなりとも残っているならば、
「いい作品」にもっと触れておけ、と私は心で叫ぶ。「私Bが私Aに」。

思えば、「ドライビング・ミス・ディジー」丹野郁美演出で共演する
奈良岡朋子(劇団民芸) 
仲代達矢(無名塾)
二人の演技はすばらしかった。

もういちどあの二人の劇を観たい。
もう一度二人の名演に出遇いたい。
しかし、もうその機会に恵まれることはない。

演ずる「役者」と鑑賞する側の「観客」との出遇いも「一期一会」なのだ。

<2018.11.02記>

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