<風船の徘徊 22>   好循環・悪循環
 
 
  1. 「好循環と悪循環」
世の中には好循環と悪循環がある。
一身上にだって好循環と悪循環は起きる。
今回のテーマは「好循環と悪循環」。
この切り口から見えて来るものはいろいろあると思う。
 
 
2.身近な1例「好循環」
まず身近な例で述べてみよう。
生徒Aが「最近英語が面白くなってきた」と口にするようになり、Aは前よりも
興味を持って英語を学習するようになった。 これは好循環の始まりだ。
面白いから学ぶ、面白さを刺激剤として学ぶと、理解の「質(深さ)と
量(広がりの範囲)」が進展拡大し、面白さが一層増すゆえ 
Aの学習意欲が進む。
らせん状の上昇階段を昇ることになる。 
 
「好きこそものの上手なれ」のことわざは、「好き」が好循環を始動し、
推進するエンジンとなることを意味しているだろう。
 
 
3.物語の縦軸として頻出する「好循環と悪循環」
文学関係のものなら、好循環、悪循環がストーリーの縦軸を構成している例に
たくさん出会うことだろう。
 
何かのきっかけで「好循環」の端緒をつかみ、最後は幸せを掴む「ハッピーエ
ンド」へ、 逆に、「悪循環」に陥り、もがき もがけども空しく「悲劇のまま
フィナーレ」へ、というように
「物語の縦軸」が、「好循環」もしくは「悪循環」を意味するものになってる例
は多い。
 
 具体例を童話でみれば、
浜田廣介の「泣いた赤おに」は
<人間に嫌われているが、人間と仲良しになりたかった>赤鬼が青鬼の援助
(→青鬼の乱暴を赤鬼が制止する「二人のお芝居」)を経て、赤鬼は人間との
お付き合いの「好循環の糸口」を得る。
 
新美南吉の「ごん狐」は、
子ギツネのゴンが兵十が川で獲ったウナギを盗むいたずらをする。
しかし、兵十がそのウナギを病気の母に食べさせるものだったことを
ゴンは後に知り後悔して償いをしようとする。
償いのための涙ぐましいゴンの努力にも関わらず、兵十はこれに気づくこと
なく、兵十宅に贈り物の栗を届けに訪れたゴンを鉄砲で撃ち殺してしまう。
兵十はその時初めてゴンの真意と真情を知る。(→後の祭り)
この童話も、兵十とゴンの間の相互理解を閉め出す「不幸な悪循環」が
ストーリー展開の縦軸となっている。
 
4.運命という「好循環と悪循環」
「あの人はいい星の下に生れている」「幸せそう。」
「あいつは悪い星の下に生まれたんだよ、きっと」「気の毒に。」
人の運命の語り方はいろいろだ。
過去形でも、現在形でも、未来形でも語られる。
 
昔話なら、占星術の偉い学者だったり、呪いをかける魔女だったりが出てきて、
人間の「運命」(「輝かしい未来」もしくは「呪われた未来」)を予告する。
 
運命論者でない「現代人」なら、類似の問題は
「好循環と悪循環」を念頭に置いて了解し万事に対処することができる。
 
5.現世界の国際関係の「悪循環」
いま、万人が懸念する通り世界の政治情勢の雲行きが怪しい。
根本的な解決の糸口が見つからず、緊張関係ばかりを募らせ
ギクシャクしている。
わが国も近隣国との外交関係を悪化させ、
悪魔に魅入られたかのように「悪循環」の罠に捕まっている。
特に日韓関係はひどい。
 
気がかりなのは、(相手国のことはさておき)わが日本の現政権の外交方針が、
解決の道から、どんどん遠ざかっていくことだ。
悪循環の渦を大きく拡大する方向を辿るだけで、解決の意思も能力も失くして
いる。
 
この悪循環の中で、両国の事情を見比べて、「どちらの不幸がより大きいか?」
「どちらが先に悲鳴を上げるか?」を想像し評定することにしか
「政府も政府支持者」も関心を示していない。
 
両国のどちらが先に地獄に堕ちるか想像して、相手が自分より先に堕ちる
ならそれでよしとするかのような「泥仕合」を、お互いに泥まみれになることを
覚悟の上で「狂演」している。
 
両国の国民は「自国政府」に声援を送ってはならない。
悪循環を拡大し、不幸な悪循環に勢いをつけるだけだ。
結局、とばっちりを食いひどい目に会い「大損害」を受けるのは国民なのだ。
 
両国民の先々の不幸は目に見えている。
 
6.理性的な思考と「好循環」
人類史上、広く認知されている最も不幸で無益な「悪循環」の典型例は、
相互に執拗に(エンドレスに)繰り返す人間集団間の(殺し合いの)
「報復の連鎖、仇討の連鎖」だった。
 
この際、この事実を思い出し、しかと確認しておくことが大切だ。
 
報復の連鎖という悪循環の呪いに囚われがちな、
私を含む「両国国民の頭を冷やす」のに役立つと思うからである。
 
人類が、ともかく今日まで生き延びて、生存しつづけて来れたのは、
この「悪循環」(報復の連鎖という「人間集団の狂気の衝動」)に打ち勝つ努力
に成功してきたからである。
 
しかし、その成功は今なお部分的であり、まだまだ十全でないことは、
世界に広がる熾烈で惨酷な紛争の現状が、これを雄弁に物語っている。 
 
(むずかしいことを言っているわけではない。)
人類自らの「野蛮性の克服」が未だ道半ばであり、未達成であることは、
人類の最先進国、最も科学文明の発達したアメリカをみるだけで一目瞭然と
いえるほど十分に明白なのだ。
 
21世紀の現代人にも「理性の重視」が必要だ。
ネット上や「現在日本の国会」で横行する野蛮で「乱暴な物言い」を許さず、
私たち自身も姿勢を正して理性的に物を言う努力をしないといけない時代に
なっている。
憎悪と侮蔑の言葉による「報復の応酬」が連鎖する「悪循環」!
この時代の悪しき風潮を乗り越え克服するのは決して難しいことではない。
断固として同調しないこと、ただそれだけでいい。
彼らは同調してくれることを糧にし、それだけを頼りにして生息しているのだ。
 
同調して憎悪の「火に油」を注ぐようなまねをしてはならない。
われわれが自ら悪循環から脱し、われわれが「好循環」を創るのだ!
<2019.7.24 記>
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