<風船の徘徊20>  クラーク「もう1つの名言」から(現代エリート論4)
 
 
丸山穂高「戦争発言」事件をめぐる政界の混迷ぶりをみるとき、クラーク博士
のもう1つの名言が思い出されます。クラーク博士の話を紹介しつつ、
つづいて「現代のエリート」の問題をもう少しだけ論じてみたいと思います。
 
<「ジェントルマンであれ!」> 
クラーク博士が札幌農学校に在職したのはわずか7〜8か月だそうですが、
今も語り継がれている「名言」がもうひとつあります。
 
学校の設立に関わった事務方の日本人職員が、同農学校にも校則が必要だと
考えて、クラーク博士の意見を求めたところ、
彼は校則は要らない、学生に求めるのは、ただひと言、
ジェントルマンであれ!」  だけででよいと断言したのです。
 
「ジェントルマン」=「紳士」とは、もちろん
市民として、社会的に信頼に値する「教養と徳」を備え、それが「行為」に自ず
と表れる人のことです。
 
「校則」といえば、学生に対しあれこれの「禁止や命令の事項」とそれに違反し
た場合の「懲罰」を規則として並べるが通例です。
 
そんな校則制定の慣例を一蹴して、
たった一言「ジェントルマンであれ」と求めるだけで十分だ、と断言したのです
から、事務方はさぞかし驚いたことでしょう。
 
その凛とした姿勢に、この学校で学ぶものは、必ずや社会に役立つ
「立派な紳士」となって巣立っていくであろうというクラークの「確信」と
「信頼」が表れています。
 
 
<政界から「ジェントルマン」が消えた>
日本の政界が、マスメディアを騒がせる毎度お馴染みの「失言事件」、
あれは「失言事件」なんかではなく、「柄が悪い」(世間ではそう言っています)
政治家たちの「本心」が表出した「本音事件」です。
品がないばかりでなく教養もないのが特徴です。
政界自体が「知性と品性」を欠く世界に成り果てていることを示しています。
 
普通人が備えているべき常識的な「教養」さえが怪しいのです。
典型例とも言えるのが「首相」と「副首相=元首相」・日本政府のトップさえも
が、官僚が作った文章を棒読みするとき「常用漢字」のヨミを間違えることです。
(「云々」を「でんでん」と読み、「未曾有」を「みぞゆう」と読んで顰蹙を買っ
た例は有名です。)
また、現首相が自分のことを「立法府の長として」などと言い出したりする始末
で、三権分流の「意識と理解」の乏しさを露呈しました。首相は国会答弁で日常
的にあれこれ弁舌を振るっているうちに、国会指導の長であり、国会議員の中の
トップだと錯覚するようになったのでしょう。「憲法意識の欠如」は明白です。
 
よくもまあ! と驚きます。
二人の祖父・あの高名な「吉田茂と岸信介」は、「3代目の不出来」を草葉の陰
でみて涙しているでしょうか、苦笑しているでしょうか、それとも、怒っている
でしょうか? できれば、「厳しく叱りつけてやって」欲しいのですが・・(笑)。
 
あってはならない類の丸山穂高事件という「珍事」も日本の政界では「日常茶
飯事」の類です。だから、私の「現代エリート論」も個別事件よりも、それを産
み出す母体の「政官財各界エリート層」の「全体の堕落」に焦点を当てるのです。
 
 
<エリート堕落の原因>
元々社会の知的指導層たちは、人々の尊敬を集めていました。エリートたちも
「選良」と呼ばれるようにジェントルマンであることが期待され、ジェントル
マンであったのです。 
かつてのエリートたちが「尊敬と信頼」を集めていたのは、それ故なのです。
 
しかし現在の社会の「エリート層」は、以前のように国民の信頼を受けている
とはいえません。 国民大衆の信頼が大きく揺らいでいます。
これは、程度の差がありますが、世界的な現象です。 
なぜ、そうなったのでしょうか?
 
エリートたちの存在は、国民大衆の目には次のように映っているのです。
 
  1. エリート層は「自分たちの」地位と利益のことしか考えていない。
    「財界や政界」支配者の利益に寄与貢献し、その利益のお零(こぼ)れの
    なかに自分の「利益と地位」の安泰を見出している。
     
  1. 現代エリートは国民大衆の利益に背いている。支配階級側に、すり寄って
    支配階級に与(くみ)している。大衆の味方でなく「敵」になっている。
 
エリートらは、本質的にジェントルマンであることをやめています。
 
 
<現代「民主主義危機」・時代の特徴>
エリートのなかで「ジェントルマン」の徳性が消え失せ、ずる賢い人が増え、
下劣な品性が目立つようになると、国民はエリート層全体を信頼しません。
嫌悪します。
社会的な規模での「嫌悪」が、「政治家」から「政治」そのものにまで及びます。
「政治の世界」を「政治で金儲けする人の集まり」とみて嫌悪し、政治そのもの
に不信の目を向けます。 
 
今日世界で「民主政治の危機」と言われる現象は、その中心に
「エリート政治への不信」があります。
政治不信が巨大になり過ぎると、大衆は真摯な政治の話にも耳を傾けなくなる
ので、政治は「言論による」改善の方策を失い、政治という「仕組み」が危機に
陥る。 それが現在の「民主政治の危機」と呼ばれる現象です。
 
現在の「世界的な傾向」として、
A 既成エリート層が指導力を失い、
B 大衆が反逆する、
という「図式」が一般化しています。
 
しかし、(X)反逆する「大衆の側」に「社会改革のプログラム」があるわけでは
ありません。(無策)
しかし、(Y)たとえ改善策を打ち出しても「指導者層・エリート側」は大衆に
対する「説得可能性」を失っています。 不信と疑いの塊となった大衆側は容易
に耳を貸しません。(不信)
 
「民主主義の危機」は、上記2つの「しかし」で表現される「矛盾」XY
内包しています。
 
 
<日本の民主主義の危機・その前兆>
日本の場合は、問題がヨーロッパの国のように、まだ顕在化し、先鋭化し、
暴発していません。しかし兆しは、もう現れています。安心とはいえません。
次のような事実についての「疑惑」が、日本国民の心の中に蓄積し、
「安倍自民一強」政治以降、その疑惑の蓄積がひどくなっています。
原理的にいえば、「貯め込まれ・埋め込まれた」疑惑は、
「封じ込めた核廃棄物」同様、いつかは外部化します。
 
実際に、
日本人の大半が、心のなかで、政界にすだく「エリ−トたちは嘘つき」
「日本の政治には嘘が多すぎる」と、苦々しく思うようになっています。
世間に、次のような不快な思いが満ちています。
 
政府は財界の、財界は政府の「利益擁護者」というラブラブ関係だ。
国会答弁では、政府の嘘の答弁がまかり通る。
官僚は政府とぐるになって、統計上のデータさえ改ざんする。
虚偽がバレかけると、政・官が「隠蔽と言い訳」を画策して協力し合う。 
 
端的に言って、日本国民の政治の真相を「知る権利」が奪われているのです。
 
真剣に考えれば、
疑惑が、降り積もる雪のように、やがていつかは、
国民的な「雪崩現象」を起こして、どこかの国のように社会的な「分断と亀裂」
が修復不可能なまでにひどく拡大し、陰湿な犯罪が激増したり、街頭が内乱まが
いの騒擾に見舞われることになりはしないか、という懸念があります。
 
いずこであれ、雪崩現象は、一朝一夕の降雪では起きませんが、「長期もしくは
集中豪雪的な蓄積」によって、ある日突如として、大規模に発生することは
ありうることです。 (実例は、現代世界の歴史が多数示しています。)
だから、こんな未開発国なみの「疑惑の政治」はその温床をすみやかに一掃する
ことが必要です。その方法は選挙による一掃です。 
腐敗した政治家たちは「選挙」を畏れています。
 
 
<日本の社会は私たちの手で変えることができる>
私たちの反省すべき点は明らかです。
社会がエリートを甘やかしすぎたのです。
社会がエリートたちを厳しく鍛えな直さなければならないのです。
まずは、醜態を晒す「既成エリート」への厳しい批判から始めましょう。
政治をよくするには、「個」よりも「全体」に目を向けるべきです。
たとえば、丸山事件のような例は、彼を産み出した所属の「党の体質」を許して
はいけません。同時に「同じ体質を持つ」他党や他の政治家たちにも批判の目を
するどく向けることです。そうでないと腐敗の温床を失くすことはできません
 
しかし、それだけではまだ足りません。大事なことがあります。
彼らを「産み出す土壌」が「私たちの側」にあることを重く視るべきです。
彼を支持し選出した「大阪19区選挙民」は自らの恥辱を猛反省するべきです。
「政治の腐敗」も「民主主義の危機」も、「主権者」である私たちが作っている。
「最終責任」は「政治家」ではなく、彼らを選んだ主権者である「国民」の側に
ある。 今私たちには、そういう痛切な「自覚と反省」が必要なのです。
 
世の中には、「いい奴」も「悪い奴」も沢山いるものです。
悪い奴に「出番」を与えると、いい奴の「出番」がなくなります。
悪(ワル)に牛耳られると、民主政治は容易に衆愚政治に転化します。
悪に出番を与えないことが第1です。
 
国民は主権者です。 主権者ということは、
演劇でいえば「演出家」に似ています。
政界という「舞台の配役」を選び決定するのは国民である「演出家」です。
演出家の目が厳しくないと「政治の舞台」が良くならなくって当然です。
4年に1度しか「配役」の決定権は行使できませんが、「舞台の監視」は常時的
に行えます。「政治家」の政治行動を監視することは、選挙権「行使」にともな
う「義務」であり「責任」でもあるのです。「主権在民」と「普通選挙権」の
「憲法上の規定」はそのことを国民に期待しているのです。
「軍部独裁」ではなく、主権が「国民に存する」間は(=憲法が健在な間)、
日本の社会はまだ十分改善可能です。 希望があります。
 
 
<こどもたちのために、未来のために!>
選挙権を持つ「大人」がしっかりして「住みよい社会」を未来の子どもたち
に残すために、日本全国にいい風を吹かせましょう。
 
 
<以下は、クラーク博士に関する余話です。興味があれば読んでください。>
◆ クラーク博士は当時マサチューセッツ農科大学第3代学長として在職中に、
1年の休暇をとる形で札幌農学校の創立に参画しました。
当時、後に同志社大学の創立者となる留学中の「新島襄」の紹介によって、日本
政府が熱心に実質校長就任をクラークに依頼して成功したと伝えられています。
 
◆また前に引用した「少年よ大志を抱け」の言葉は、調べてみると札幌農学校
1期生を前にして、その別れに際して述べられたことばであり、直接聴いた教え
子は、全文は
「老人の私同様、少年よ大志をいだけ。」
Boys, be ambitious like this old man .
だった、と伝えられていることが分かりました。私は誤って格言めいて
受け取っていたが、「Boys」を目前にした別れの場面での言葉だったのです。
 
◆校則の話は、「権威と権力」(なだいなだ著 岩波新書)で初めて知り面白い
と思って、私の記憶に残っていたものでした。
「紳士であれ」も「大志を抱け」も、クラーク自身が高い志を持って生きること
を自らの信条として遵守し、生徒にも範を示していたことが自ずと分かります。
 
◆札幌農学校は、創立の理念が「理学」重視に置かれていた点で、
当時の「東大・京大」と特色を異にしていました。
明治の初め、青雲の志を抱いて「官吏になりたかった青少年」は東京大学で学び
「自分が権力の座」について国を興そうとしました。  
それに対し、法律・経済だけでなく、「理学で産業を興し、国を興す」ことの
必要を説いたのが「札幌農学校創立の精神」でした。
その精神のもとに集まった学生の中から、(キリスト教精神の影響も受けた)
「内村鑑三、新渡戸稲造」らの偉人が出て、後世に大きな影響を与えました。
明治期の指導者として、東大系の主流に対して、傍流系の位置・役割を札幌側が
果たした、と言われます。
<「矢内原忠雄」が当時の札幌農学校の「特徴」について、大塚久雄との対談の
中で語っている部分があり、この項はその部分の要約です。>
(同対談は、みすず書房、「生活の貧しさと心の貧しさ」大塚久雄著所収です。)
<2019.5.29 記>

 

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