<風船の徘徊 19>  エリート層への批判・その視点 (現代エリート論3)
 
 


<視点>


 人間は社会的動物です。

社会が「うまく構成され、うまく運営される」と、社会的な生き物としての

「ヒト」は、その仕組みのなかで「平和に、幸せに」暮らすことができます。

 

だから「ヒト社会」は自らの内に、社会という「組織・システム」自体を企

画し運営する任に当たる者(世間で「社会的指導者」・「エリート」と呼ぶ

(階層)を育てます。「教育システム」が育成の役目を果たします。

 

東大生の場合であれば、国が東大という「教育学習システムの場」を彼らに

提供し、利用を許します。

 

上野千鶴子さんの例の祝辞も、

東大新入生のあなたがたに、この4年間

 

「すばらしい教育学習環境が待っています」 と伝えるとともに、 

「東大生1人当たり年間500万円の国費かかかる」ことも紹介しています。

 

重要なことは、次の事実です。

 

エリートは勝手に育つのではない。

私たち社会が築いた財(物的・人的資源)を提供して、社会が必要だから育て

るのです。

 

彼らには「国費」がかかるだけではない、併せて

「社会の期待」がかかっているのです。

 

しかし、

その点に、無自覚で思慮浅はかな「エリート」たちは、せいぜい

「国家の期待」

「支配階級の期待」

「身内からの出世の期待」 を感じるだけに留まり、

地位がもたらす「利益追求」の方に熱心になります。

「国家の期待・支配階級の期待」は、彼らも敏感に感じ取ることができます。

それに忠実に応えることが「出世の早道」だからです。

 

そして「富と権力」に近づき傲慢になります。

 

しかし、社会の大多数を占めるのは「権力者や富者」ではなく日々額に汗し

て働く「庶民」たちです。

社会が「エリート」に「敬意」を表するのは、

彼らが社会的に高い地位に就いたからではなく、

その「能力や知識」が「社会の利益」となって社会に還えされるからです。

 

社会が期待するエリートの「役割」はそこにあります。

彼らの社会的存在価値もその点にあります。

 

なのに、そのことを忘れ、地位がもたらす利益の享受だけを追求する傾向が

趨勢となって、「みずから存在価値を蔑ろにしいる状態」が目に余ります。

 

上野千鶴子さんの祝辞は、

このことの「懸念」を念頭に置くかのように、次のように述べています。 

 

「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでく

ださい。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるた

めにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強

がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。」と。

 

上野さんの言葉は、

「人間の才能と努力」を、

立身出世競争を勝ち抜くためだけに使わないで、

多数の社会的に恵まれない人々を助けるために使ってください、

「競争の原理」よりも「共生の原理」に目覚めて生きて下さい、

「時代と社会」は、そのことを「エリート」たちに期待している、

という趣旨でしょう。

 

社会は、知的に劣悪なエリートを嫌います。

品性を欠く、ひとりよがりで傲慢なエリートを嫌います。

彼らが、社会が「不幸に転落していく傾向」に拍車をかけるからです。

 

社会が戦争の危機に瀕したり、社会の下層階級で自力でどうしても抜け出せな

い飢餓的な貧困層が「増加傾向」を示すとき、そこには必ず全体としての

「エリート層・指導層」の顕著な「堕落傾向」が進んでいます。

 

だから、「品性と知性」を備えたエリート層の出現が期待されるのです。

だから、上野千鶴子さんの東大生への祝辞が賛意を込めて注目されるのです。

 

世界中の若きエリートたちに、山積するグローバルな難問に立ち向かって欲し

いとする「人類社会の期待」は大きい。

私も同じ期待を抱きつつ、それ故にこそ、「現代エリート」の姿勢の歪みを、

根気よく批判しなければならない、また、そうしてゆきたいと思うのです。

(以上)

 

<付記>

◆「現代エリートたちの言動」を批判する場合、「何を批判するのか?」(批判

の対象)とともに「どんな視点から批判するのか?」(批判する立場) を明ら

かにすることが大切だと思っています。 今回は後者に関して述べました。

 

◆丸山穂高問題の騒ぎは、今まだ継続中です。

自民党は「犯罪」のレベルにいたらない「失言」を

国会で「議員辞職勧告決議」という形で裁くことはできないといいます。

 

だって、自民党は、幹部を含めこの数年、

世論の顰蹙を買う「失言」のオンパレード。

その「賑やかさと騒音レベル」はギネスブックに載りそうなほど。

自民も加わって、そんな前例を作れば、

折角選挙戦をくぐりぬけ絶対多数を誇っているのに、

議席をどんどん減らしかねないという危惧が先立つじゃあないですか。

 

他人事ではない「同質性」が表に出てしまうことに悩んでいるのでしょう。

「同じ穴のむじな」「同病相哀れむ」の類、でしょうか。

(これも思った通りの「事態の展開」でした。)

 

◆今回も、「現代のエリート」を話題とするもので、それは<No.17>から始ま

っています。 同じテーマについて述べていることを示すため、今回カッコ書き

で(現代エリート論3)と記入しました。

<2019.5.21記>

 

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