<風船の徘徊 15>  ホームレス哀歌・「冬籠りは刑務所で」

<刑務所に入りたい>
もう三、四十年も前の話だが、釧路の弁護士がこんな話してくれたことがあった。
「冬になると、国選刑事事件が増えるのです」と。

ホームレスがショウ・ウインドウを割ったりしてわざと捕まるのです。
最低気温がマイナス10度、20度以下にもなり、吹雪くこともあります。
路上で生活する者は凍死しかねないのです。
路上より刑務所で冬を過ごしたいため、
刑務所行きを目的にしてショウ・ウインドウを割ったりするのです。

というのがその説明だった。

今、ホームレスの増加が世界的に深刻になってきている。
そんな情報に接して、ふっとこんな昔の話を思い出した。

当時は、ただ「なるほど」と聞き流しただけだが、
改めて考えてみると刑事事件としては奇妙だ。
「犯罪者」が刑務所行きを嫌がるのではなく、これを求めるのだ。

面倒な考えを一切避け、形式的かつ事務的に処理に徹するなら、
「器物損壊罪」か「建造物等損壊罪」で起訴し、実刑判決を出し、
刑務所に送れば一件無事落着ということになる。
被告人も刑務所行きの願いが叶ったのだから、
一審「実刑判決」を不服として控訴することもないだろう。

しかし、何だかちょっとヘンだ ?・・??

まず、刑務所設置の「制度の目的」は、そもそもそんなところにない筈だ。
犯罪者の描いた筋書き通りで、裁判が「芝居じみて」いはしないか?
刑事裁判は本来もっと慎重かつ「厳粛な」ものではなかったか?
何か大切な点が抜け落ちている。


<ちょっと理屈の面を>

この事件の犯罪の「動機」は至極単純で解りやすい。同情に値する。
厳寒地のホームレス仲間に共感を呼びそうで、真似たがるだろう。
だから同種犯罪を誘発しやすい。

一方、一般市民はなんとかしてホームレスの乱暴な犯罪を止めさせるよう
厳重に取り締まり、厳重に処罰して欲しいと願うだろう。

しかし、問題は
この種の犯罪に「刑罰」「厳罰(=実刑)」を科すことは理屈に合っているのか?」
ということだ。
逆に、「この種の犯罪を刑罰で以て防止できるか?」
と問い直してみてもよい。
おそらく一般的には、「否定的な回答」が多数になるのではないか。

何よりも、この場合「犯人」は刑罰を求め、
刑務所に行きたいために犯罪を犯しているのだ。
実刑を受けて収監される「刑務所」が、
彼が求め、彼にとって許される、「緊急避難先」であり、
恰も冷凍庫内のように凍える街路生活から逃れる「憧れの安楽地」なのだ。

法学刑法総論で半世紀前に学んだ古い知識を呼び起こしてみる。
犯罪者に対して近代法はなぜ刑罰を科するのか? という理論問題に対し
刑罰を科す目的を説明する理論として、従来からA.B二つの考え方=学説がある。

すなわち、刑罰を科す根本の目的は

A教育刑説。犯罪者を教育し、真っ当な人間に更生させる。(本人の再犯予防に主眼)
B応報刑説。悪行に対し報復し懲らしめる。(本人と一般社会への報復・警告に主眼)

とする「二つの対立する」立場(=刑法思想)がある。
 
常識の延長線上にあるような考え方なので、解りやすいい理屈だ。
実際の制度は、両方の考え方や要素がミックスされているとみてよい。
一筋縄ではいかないからだ。
(たとえば、「死刑」は応報刑思想の表れであり、教育刑思想では説明できない。)

このA説.B説どちらの理論によってであれ、このホームレス事件を
「実刑=厳罰」に処するには背理が伴う。しっくりいかない。
即ち、この場合、
刑罰の(B説)「懲らし効果」は望めないし、(A説)再犯防止の「教育的効果」もない。
制度の「本来の目的」と「刑罰の現実」との間にギャップがある。


<裁判官、検察官、弁護人の内心に戸惑い?>

法曹三者、裁判官・検察官・弁護士は、現制度では同じ司法試験・同じ司法研修を受け
「統一的な法曹養成制度」のもとで法曹の資格を得る。
資格が認められると、本人の志望に従って上記の3分野の法曹実務家への道を歩む。
従って法曹三者で、法的な考え方や知識の上で大した違いはない。
まあ「似た者同士・仲間うち」といってよい。
制度の中での「役割分担」が違うだけだ。

弁護士は、刑事裁判ではできる限り被告人の「無罪、執行猶予、刑の軽減」を求めて努力し、
被告人の利益と権利の擁護に努めることがその役割として期待されている。
それは弁護士の「職業倫理」でもある。

このケースは、「ホームレスが生存維持目的のために犯行に及んだ」という、
動機に同情すべき事情がある点が最大の特徴だ。
普通なら、「執行猶予付き判決」の可能な事件である
しかし、もしも執行猶予付き判決がでれば、
被告人は「路上生活へ逆戻り」しなければならない。
それでは、被告人の命を危険にさらすという「刑罰よりもさらに酷い仕打ち」になる。


そのことを考えれば、弁護人は「執行猶予」を求める弁論をしたくてもできない。
同じジレンマに、検察官・裁判官も心に戸惑いを覚えるはずだ。
果たして
検察官は、犯行が悪質であり厳罰に値すると主張して、「論告」が書けるだろうか?
裁判官は、真実と向き合いつつ、どんな理由の「実刑判決」を書くことができるか?
犯行の動機が法曹三者のジレンマのもととなっている。

おそらくは、裁判官・検察官・弁護人の三者は、情状に深入りせず、
形式的判断だけで、実刑判決に向かって手続きを進めるだろう。

刑事裁判は、本質上人間の運命にも関わる内容(結果としての人権を侵害する実質)を含むものであるゆえ、
「判決」が法的正義にかなっている(即ち社会を納得させうるものである)ことを
「判決理由」として説明する責任を併せ持っている。

だが、この裁判では犯罪の動機・犯情から目をそらして判決を出すことになるのだから、判決書は説得力を欠くにちがいない。

裁判手続きは裁判関係者の内心のジレンマを反映して、「判決」は苦笑を誘う温情「実刑」判決となり、
「審理」は無言のうちに真情を示す「人情芝居」まがいのものとなるほかない、と私は想像する。
(当時、裁判や判決の実際を聞き及んでいないので、以上は私の推測だが・・。)


<問題の解決>

上記裁判にはこれまで述べたような悩みが伴うが、一般論としては問題解決の方法は難しくはない。
(「福祉の不備・貧困」が犯罪の誘因なのだから)路上ホームレスがなくせば、こんな刑事事件は姿を消す。
仮に「福祉」が充実していて生活保護が受けられ、あるいは臨機応変の「ホームレスの保護施設」がある場合には、
この種の事件が起こらない。裁判上の上記ジレンマも当然起こらない。

日本国憲法25条に「国民の生存権の保障」について次のように定めている。

  <日本国憲法25条>
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」
「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の
向上及び増進に努めなければならない。」

ホームレス問題を日本国憲法25条の規定からみれば、
国はホームレスを生み出してはならない「国政上の義務」を負う。
また、何かの理由でホームレスが発生存在する状況に至った場合には、国は施策によって、
ホームレスを保護し、その状態を無くす行政上の責任を負う。
だから、ホームレスがその境遇に陥ったことを、当人の「自己責任」だとみて、
「社会や国」がホームレスに非難の目を向けることは許されない。
同様に、刑事裁判において、ホームレスである人を裁く場合にも、ホームレスになったことを非難して裁くことは許されない。
たとえば
「厳寒の路上で凍死するのを避けるために、刑務所の方がいいと思うのは理解できるが、
そもそもホームレスになったのは被告人の責任だ。」
というような理由付けは、NGだ。
<2019.3.5 記>

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