「ヴォイスの客」はらすすのジャズよもやま話
連載第94回 自転車に乗ろう
昨年の春に仕事場が近距離になった事をきっかけにして、僕のマイカーは売り払わ
れてしまい、愛車と言えば自転車だけとの状況になってしまいました。車を手放した
のは、勿論家計の財政難で新車を買うことが出来なかった事が最大の理由です。だけ
ど、僕は元々車の運転が好きな方ではなく、遠距離通勤をしていた時期でも車に乗る
のは土日に仕事に行く場合のみであり、平日は電車を何度も乗り継いで通勤していま
した。従って、車がなくなってもさほど不便は感じず、むしろ1)常に車の運転の心配
なしに心おきなく酒が飲める、2)道路の渋滞に巻き込まれてイライラせずに済む、3)
ガソリンの価格の変動に一喜一憂しなくても済む、4)駐車料金の高さに辟易とせずに
済む、等むしろかえって良いことずくめのようにさえ思えるのです。
という次第で、現在は愛車のチャリが大活躍で、僕はいつでもどこでも自転車と電
車に乗って移動しています。と言っても、もともとアウトドア派とはほど遠い存在で
すので、僕の愛車は競技用自転車のような高価なものではなく、いわゆる“ママチャ
リ”という奴です。しかし、自転車で30分以内くらいの距離であればこれで充分ですし、
今までに通った事のない道を自転車で走るという行為もまたそれなりに楽しいもので
す。
僕には以前、スクリーン上での自転車シーンを見ていて、深い感動を覚えた記憶が
あります。それは、ショーン・コネリー主演の「小説家を見つけたら」というタイト
ルの映画における一幕での事でした。この作品は、ショーン・コネリー演ずる40年前
にピュリツァー賞に輝いた処女作一冊だけを残して文壇から消えた幻の小説家で、現
在はアパートの部屋に引きこもっている謎の老人ウィリアム・フォレスターと、プロ
のバスケットボール選手を夢見つつも実は大変な文学少年である黒人の高校生ジャマー
ル・ウォレスとの心の交流を描いたものです。あらすじを手短に説明しますと、ジャ
マールの文学的才能に気づき嫉みはじめた高校の教師が、彼の提出した作文を盗作で
あると糾弾する事件が起こり、ジャマールは退学の危機にさらされ、シンポジウムが
開催される事となります。その際に、これまで決して部屋から一人では外出しようと
しなかったフォレスターが長年の掟を破って作文シンポジウムに現われ、ジャマール
を擁護し彼の窮地を救うといった内容のストーリーです。その途上、ウィリアム・フォ
レスターが自転車に乗って、ニューヨークの街並みを走り廻るシーンがあるのですが、
その際のフォレスターの豊かな表情は万人の心を強く魅了するものであり、まさに名
優ショーン・コネリーならでは名演技だったのでした。
そのような次第で、今回は自転車ジャケの素敵なジャズ作品を数作ご紹介してみま
しょう。まず最初は、本コラム第3回でもご紹介したDusko Goykovich〜Alvin Queenに
よる“A Day in Holland”(Nilva)です。この作品に関しては、1990年代前半の個人的な
懐かしい思い出があります。ちょうどこの頃にSound Hillsから本作のCDが復刻された
のですが、このレコードが大好きだった僕は、その頃の住まいの近くにあり本コラム
第79回でも紹介した「森のスケッチ」というジャズ喫茶を訪れ、マスターの山田さん
と2人でこのCDを繰り返して聴きながら、アメリカ風ハードバップとはひと味異な
るDusko Goykovichの哀愁溢れるバピッシュな演奏に、“Goykovichってええなあ〜”と
しみじみと語り合ったものでした。2枚目はピアニストのDavid Matthewsの“Billy
Boy”(Paddle Wheel)というピアノトリオ作品です。現在なお、マンハッタンジャズク
インテットおよびマンハッタンジャズオーケストラのリーダー兼アレンジャーとして
人気の高いMatthewsですが、この作品は彼がピアニストとしても一流である事を実証
した作品と言えるでしょう。そして、3枚目はフランスの名門レーベルLabel Bleuから
発売された“Palatino”という作品です。このアルバムはドラムスのAldo Romanoをリー
ダーとして、トランペット・トロンボーン・ベースという変則編制のカルテットから
構成されていますが、滋味溢れる好演を楽しむ事が出来る愛すべき1枚です。
僕が車の運転自体を好まないのは、恐らく反射神経が鈍くて運転自体が余り得意で
はない事に起因しているのだと思います。従って、外車の大型車を所有したいなどと
思った事は未だかつて一度もないのですが、それでもミニクーパーみたいな車だった
ら乗ってみたいような気がします。しかし、現実的にはそれすらも叶わぬ夢であり、
僕と愛車ママチャリとの親密なお付き合いは今後も当分の間は続いていく事でしょう。
ではまた来月、少し秋めいてきましたが、皆様どうぞこの良き気候をお楽しみ下さ
い。
(2009年9月10日 記)
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