「ヴォイスの客」はらすすのジャズよもやま話
連載第89回 Bud Powellを語る

 昨年の秋に僕のピアノの師匠である高岡正人さんの門下生の発表会が行われた際に、
ある女性の生徒さんがBud Powellの有名なオリジナル曲である「クレオパトラの夢」
を演奏されました。その方の演奏はとても上手でしたし、おまけにアドリブは
“Amazing Bud Powell vol.5”(Blue Note)の中の演奏の完全コピーであったため、僕は
少なからぬ衝撃を感じ、“これであとは唸り声が入っていたら、もうPowellそのもので
すね”と話しかけてみました。すると当のご本人からは、“あら、よく御存知なのです
ね”との返事が戻ってきましたが、僕としては「クレオパトラの夢」なんて10代の頃に
数え切れない程聴いた作品であり、そんな事は知ってて当然との感覚でしたので、そ
のような返事に対していささか拍子抜けのような気分を覚えてしまいました。
 これまでにも何度も述べてきましたが、僕が本格的にジャズを聴きだしたのは高
校2年生、すなわち1972(昭和47)年の事です。少しジャズをかじり出すと、色々なミュー
ジシャンの演奏が聴きたくてジャズの専門書に目を通すようになり、その結果、バッ
プの創始者の1人としてBod Powellというピアニストの名前を直ちに記憶する事となり
ました。しかし、残念ながら往時には現在ほど数多くの音源が流通しているような状
況ではありませんでした。僕の記憶に間違いがなければ、当時日本盤として市場に出
ていた彼のレコードは、Blue Noteの“Amazing Bud Powell”のvol.1・vol.2・vol.5
の3枚、そして「ヴァーヴ不滅のジャズシリーズ」と銘打たれてポリドール社から発売
されていた“The Genius of Bud Powell”・“Jazz Giant”の2枚のVerve盤の合計5枚だけ
だったのではないかと思います。このうち“Amazing Bud Powell vol.1”は現在でも名
盤としての誉れ高き作品ですが、当時初めてこのレコードを耳にした僕にとっては、
「Un Pocp Loco」というアラビア音楽のようなメロディーのテーマを有した変わった
曲が、いきなりA面の冒頭から3度も繰り返して収録されている事の意味が理解できず、
感動を得る事は出来ませんでした(その時に感じたトラウマ?の影響か、今でも僕はこ
の「Un Pocp Loco」という曲が嫌いです(笑))。また、Verve盤の“Jazz Giant”という
レコードについては、僕は当時神戸の三宮にあった「Pisa」という名前のジャズ喫茶
でリクエストをして、初めて聴く事ができました。「Pisa」というお店は、選曲はウ
エストコーストジャズなどの余りハードではないジャズが主体であり、柔らかい心地
良いクッションのソファーの椅子が備え付けられており、常備している雑誌は何故か
「サンデー毎日」といった具合の、当時としては珍しくかなり“緩い”感じのジャズ喫
茶でしたが、そのようなお店で寛ぎながら、David Stone Martinによって描かれた印
象的な真っ赤な色調のジャケットのこの作品を初めて聴いた時の状況は、今なお鮮明
に記憶しています。
 Bod Powellという人は精神疾患によって入退院を繰り返しており、その時代の健康
状態によって、出来不出来の差が激しいミュージシャンであったとされています。そ
ういった意味合いからは、“Amazing Bud Powell vol.5”が吹き込まれた1958年は彼に
とって決して良いコンディションの時代ではなかった様ですが、魅力的なテーマを有
した彼のオリジナル曲である「クレオパトラの夢」が収録された事によって“Amazing
Bud Powell vol.5”は彼の人気作品となり、僕も好んでこのレコードに聴き入ったもの
でした。しかし年が明けて翌1973年になると、2月にコロンビア社の廉価盤シリーズか
ら“Bud Powellの芸術”と題されたRoost盤が発売される経緯となりました。この作品
は1947年と1953年に吹き込まれた彼のトリオによる演奏をカップリングしたものです
が、中でもA面を占める1947年の演奏はBud Powellのキャリアの中でも最高の名演の1
つに数えられているものです。ベースのCurley RussellおよびドラムスのMax Roachを
従えて繰り広げられる8曲は、バップの芳醇な薫りが満ち溢れた「I`ll Remember
April」から幕を開け、その後急速調の「Indiana」や「Bud`s Bubble」及び美しいス
ローバラードの「I Should Care」や「Everything Happens to Me」などが交互に展開
されており、その見事な構成にはただただ感嘆するばかりです。これらの演奏を初め
て耳にして深い感動を得た事をきっかけにして、以降この作品は僕にとっての最大の
愛聴盤の地位を得る事となったのでした。
 その後現在に至るまで、未発表盤を含めて数多のPowell の音源が発表される事とな
りました。その上に、音源どころか“動くPowell”を見る事のできるDVDまでもが、僕が
所有しているだけでも“Bud Powell in Europe”(Jazz Music Performances)・“Eric
Dolphy Antibes 1960”(Impro Jazz)・“Jazz in Denmark”(Marshmallow)の3本もが存在
しているような現状です。しかし、たとえいくら新たな音源を耳にする事が出来たと
しても、僕にとっては感受性の鋭かった10代の頃に聴き惚れた “Amazing Bud Powell
vol.5”と“Bud Powellの芸術”の2枚を凌ぐ感動を与えてくれる作品には恐らく今後も出
会えそうにはありません。
 ではまた来月、桜満開の良き季節となりましたが、皆様どうぞこの季節を充分に満
喫して下さい。
                        (2009年4月10日 記)