「ヴォイスの客」はらすすのジャズよもやま話
連載第87回 神戸元町ジャズ歩き

 1995年の阪神大震災以前、僕には土曜日の午後のお気に入りの過ごし方がありまし
た。特に用事のない土曜日には、午前中の仕事を終えると車を花隈駐車場に入れてお
いて、まずは村田家が経営しておられた花隈のジャズ喫茶「ロタ」に向かい、昼食に
「サヴォイ」特製カレーを食べながらマスター(村田パパの事です)とあれこれジャズ
談義をした後に、元町本通りにある「海文堂書店」で本を立ち読みしたり1丁目にある
レコード店「ハックルベリー」で中古レコードをあさったりしてから、最後に栄町通
りにあったジャズ喫茶「Jam Jam」へ行ってジャズレコードを聴いて過ごすというパター
ンでした。こうして、ジャジーな気分に浸りながら土曜日の午後から夕方までのひと
ときを幸福な気分で過ごす事が出来たのです。ところが、大震災以後には「ロタ」は
週末の営業を止め「Jam Jam」は一旦閉店してしまったため、このような過ごし方は不
可能になってしまいました。
 しかし、震災後に僕は元町で「Owl」および「Duane」という2軒の素敵なJazz Barと
出会う事が出来たため、引き続き元町商店街の1丁目から3丁目界隈は僕に対して、何
となくジャジーで口笛でも吹きたくなるような感覚を味わい続けさせてくれたのでし
た。Bar「Duane」は元町本通り南側にある喫茶「サントス」の角を南下し、南京町ま
での間の路地の左手2階にありましたが、訪れる度にバックカウンターに整然と並んだ
アナログ盤の数の多さに驚かされたものでした。万年青年であるマスターの石黒さん
の、ジャズのみならずロックやフォークソングに対する造詣の深さは半端なものでは
なく、音楽に関する話題になるとジャンルを問わず話がどんどん盛り上がるのが常で
した。一方、Bar「Owl」は南京町の南北の中央通を北に上がって元町本通りを超えた
左手の地下1Fにありました。マスターの井上さんは寡黙な方ですが、ジャズと野球特
にメジャーリーグに関する知識は豊富であり、このような話題になると色々と興味深
いお話を聴かせて下さいました。“この店はただのBarで、Jazz Barではないですよ”等
と謙遜(?)されていましたが、バックカウンターに並ぶ沢山のジャズLPとCDとを見れば、
どうしてどうして立派なJazz Barと言わざるを得ないでしょう。成田一徹さんの著書
である、名だたるBarの名店を紹介した「to the Bar 日本のBar64選」(成星出版)と
いう本でのこの店の紹介文を引用してみますと、“とくに珍しい酒や気の利いたツマミ
があるわけではない。白いバーコートとでボウタイで身を固めたバーテンダーはいな
い。主は、ほの暗い闇にしっくりと溶け込んで、時折目の前に姿を現わして二言三言
の会話。飲むのは、スタンダードのウイスキー・ハイボール。ここでしばし時をやり
過ごす。ゆっくりと穏やかに何かが鎮静していくのを待つ。やがて頭の中にいくつか
の好もしいシーンが浮び始めると、おもむろにスツールから腰を上げる。”との、まさ
しく「Owl」というお店の雰囲気を端的に具現した名文をしたためておられます。とこ
ろが、残念な事に「Duane」は数年前に閉店となり、頼みの綱の「Owl」も昨年末をもっ
てマスターの井上さんはお店をたたまれてしまいました(その後、他の方が同じ場所で
営業を続けておられますが…)。
 しかし、今なお1丁目のレコード店「ハックルベリー」は健在であり、玉石混合の無
数のレコードおよびCDの在庫を有しておられます。輸入盤も数多くあり、余り良い状
態であるとは言えないレコードも混じっているのですが、その中に埋もれているコン
ディション良好のオリジナル盤を時々法外な安価で見つける事も可能であり、僕はこ
れまでにこのお店から数多の宝物とも呼べるようなレコードを購入してきました。そ
してそれに加えて、元町1丁目では「Jam Jam」が移転再オープンし、南京町西端の
「M&M」および3丁目の「Just in Time」を加えると、現在元町の比較的狭いエリア
に3軒のジャズ喫茶がひしめいているという事になります。と考えると、大好きなお店
が閉店したり等の悲しい事態もあったにせよ、神戸元町のジャズ環境は今なお恵まれ
たものであると胸を張って言えるでしょう。本コラム第19回でも述べましたが、大阪
などでは近年“ジャズ喫茶に行きたいなあ”と思っても容易には周囲にそのようなお店
は見つからないとの状況であるのに反して、神戸ではこのようにジャズ喫茶が多数存
在しており、まさに“神戸はジャズの街”と呼ばれる面目躍如といったところです。
 ではまた来月、春の到来まではまだ少しかかりそうですが、皆様どうぞ寒さに負け
ずお元気でお過ごし下さい。
    (2009年2月10日 記)