「ヴォイスの客」はらすすのジャズよもやま話
連載第81回 吉祥寺「サムタイム」と神戸「バックステージ」の思い出

 今年の4月に東京を訪れた際に、本コラム第79回でご紹介した吉田桂一さんのトリオ
を聴くために、僕は久し振りに吉祥寺の「サムタイム」へと足を運びましたが、僕が
この店に足を踏み入れるのは恐らく30年ぶり以上だったのではないかと思います。
「サムタイム」は昭和50年開店との老舗のジャズライブハウスであり、僕は開店直後
の時期に東京に遊びに行った際に、現地の友達と連れだって数回この店を訪ねた記憶
があります。吉祥寺のジャズ界のリーダー的存在の1人であった故野口伊織さんが始め
られたこのお店は、30数年を経過した今もなお店内の雰囲気は開店当初と全く変わり
なく、壁面の大部分がレンガ造りであり、西洋アンティークの時計や電話受話器など
があちこちに配置されています。その上、Red Garlandの名盤である“Groovy”(
Prestige)のジャケットデザインを模した落書きまでもが壁面に描かれており、ジャズ
ファンにとってはたまらない感動が得られる内装となっています。まだ二十歳そこそ
こだった僕は初めてこの店を訪問した際に、“ああ、こんな店こそが本当に粋な大人の
遊び場なんだな”との強烈な衝撃を受けた鮮明な記憶が残っています。
 当時は、来日した著名なミュージシャンのライブも催しておられ、昭和50年代には
トリオレコードから“Live at Sometime”シリーズとして何枚かのレコードが発売され
ました。僕の記憶では、確かAnita O`dayの作品なども発表されたはずですが、今回我
が家のレコード棚を探してみたところ、Barney KesselとJohnny Hartmanとのレコード
が発見されました。いずれも、「サムタイム」の店内の雰囲気をよく具現した秀逸な
ジャケットであり、これらのレコードは久しぶりに直ちにターンテーブルにのせられ
る次第となりました。
 そしてさらに、僕がこの吉祥寺「サムタイム」に強烈なインパクトを抱いている理
由として、神戸三宮の名店であった今は無き「バックステージ」というお店の印象と
重複する部分が多いという点も挙げられるのです。「バックステージ」については、
もしかするとご記憶の神戸人の方々も多いのではないかと思いますが、昭和50年代か
ら平成の始め頃にかけて三宮のサンプラザ10階に存在していたジャズライブハウスで
した。もしかすると吉祥寺「サムタイム」の内装のコンセプトを模したのではないか
と僕はずっと考えていたのですが、それ程両店は似通った雰囲気を漂わせていました。
「バックステージ」では連日、女性ボーカリストとピアニスト・ベーシストの3人によ
る演奏が繰り広げられていましたが、現在なお神戸のジャズシーンで活躍中のベテラ
ンボーカリストである古屋さと子さんやベティ鞍富さんなどをよく聴いた記憶が残っ
ています。その上に僕自身の個人的な思い出として、20歳代後半の頃には女の子と2人
でどこかへ飲みに行く機会があった場合には、まず第一にこのお店を選択していまし
たので、「バックステージ」を回想すると言う事は、同時に自身の青春後半の懐かし
い思い出が蘇ってくるという事にもなり、僕はいささか面はゆい気分を抱いてしまう
のです。
 このコラムを書くに際して古い本棚の奥の方を探し回った結果、「ワンダフルコウ
ベ1981年度版」という本を見つけ出す事ができました。この本の中で、“レンガと打ちっ
ぱなしのコンクリートでできた店内は文字通り楽屋裏の雰囲気。ヤングに人気抜群。
午後6時からのライブタイムは、ピアノ・ベースに女性ボーカルが加わったスタンダー
ドジャズ。たっぷり時間のある夜に行きたい。”とのコメントの紹介文と共に「バック
ステージ」の宣伝用の店内の写真も掲載されていましたので、ここに転載させて頂き
ます。この写真を見て、たまらない懐かしさを感じて感涙にむせばれる方は、恐らく
僕以外にも沢山おられるのではないかと推測します。
 それにしても、地震前までの神戸の街にはこの「バックステージ」のみならず、
「キングスアームス」や「ダニーボーイ」・「ジ・アティック」などといった名店が
数多く存在していました。このような素敵なお店で青春の時期に数々の思い出を残す
事ができた事に対しては僕自身深い感謝の気持ちを抱くのですが、反面これらのお店
は既に記憶の中にしか存在しないのだと考えると、一抹の寂しさの念を感じずにはお
られません。
 ではまた来月、うだるような猛暑の日々ですが皆様どうぞ暑さに負けずにお過ごし
下さい。
                        (2008年8月10日 記)