「ヴォイスの客」はらすすのジャズよもやま話
連載第78回 Cees Slingerって素晴らしい

 最近ジャズ関連本の出版はますます増えているようですが、その中にはモダンジャ
ズのベーシックコレクションを紹介したような企画の本が少なからず見受けられます。
しかし、ベテランジャズファンと言うと僭越ですが、長年ジャズを聴き込んできた輩
達にとっては、このような本を手にとっても“何を今さら…”との念を強く感じてし
まう事もまた事実でしょう。ところが現実的には、以前も述べたようにジャズCDの発
売数自体は間違いなく増加していますので、真剣に情報収集さえすればベテランジャ
ズファン達にとっても名前すら知らないような新たな素晴らしいミュージシャンに遭
遇する事は可能なはずです。そういった意味からは、本コラム第73回で御紹介した
「ジャズ批評 133号 ピアノトリオ最前線2006」という本は僕に多くの未知のミュー
ジシャンとCDを教えてくれましたし、最近ではそれに加えて「Jazzとびっきり新定
盤500+500」(だいわ文庫)という文庫本が僕の新たなバイブルとなっています。この
本はMOONKSとの頭文字の6人の精鋭ジャズファン集団が推薦する“1974年〜2007年の
イケてる1000枚!”とのいかしたコピーのジャズCD紹介本なのですが、何とそのほと
んどは僕も全く知らないミュージシャンおよびタイトルの作品が掲載されているので
す。
 かくなる次第で、ここ数カ月の僕はこの文庫本を参考にしてかなりの数のCDを購入
しました。そして、その中で最も僕の心に響いたのが、Cees Slingerとの名前のピア
ニストによる“Happy Times”(Blue Jack)という作品でした。まずは、本文中か
らMOONKSのメンバーの永野敦史さんによるこの作品の紹介文を勝手に引用させて頂き
ましょう。“もうこれは1曲目「サイレント・マジョリティー」だ。スリンガーのオ
リジナルだが、もうとにかくカッコイイ。「ジャズでのカッコよさって何ですか?」
と質問を受けたなら、迷わずこの1曲をあげる。テナーもジョン・コルトレーン系で
はなくてハンク・モブレー系っていうのが泣かせてくれる。ジョニー・グリフィンも
彼らのバップ魂を褒めている。”かくなる素敵な紹介文に魅せられて、僕はトランペッ
トとテナーサックスとをフロントに配した2管編成のOuintetより成る2002年録音の
この作品を購入しましたが、紹介文に全く違わぬ素場らしい内容にただただ感服する
事となりました。
 このような経緯により、Cees Slingerというピアニストの名前は僕の脳裏にしっか
りと刻み込まれましたが、するとたまたまレコード漁りをしていたところ、偶然に今
度は“Sling Shot!”(Timeless)とのタイトルの、Clifford Jordanのテナーサック
スを含んだQuartetによる彼のリーダーアルバムを発見してしまいました。1985年に
吹き込まれたこの作品は、ドラムスのPhilly Joe Jonesのラストレコーディング作で
もあるとの事であり、レコードの裏面にはCees Slinger自身のペンより成るPhilly
Joe Jonesに対する追悼文が書かれています。これらの両作品に共通して特徴づけら
れる事は、Cees Slingerの作曲能力の高さという点であり、“Happy Times”で
はCees Slingerのオリジナル曲は永野氏推薦の1曲のみですが、一方“Sling Shot!”
は全6曲中5曲が彼のオリジナル曲で占められており、そのいずれもがモダンジャズ
の香り高き作品である事に対しても驚きの念を禁じ得ません。
 Cees Slingerは1929年生まれのオランダのピアニストです(奇しくも、先月紹介し
たSonny Rollinsと同い年という事になりますね)。1950年〜1960年代には、オランダ
で最も著明なジャズバンドであったThe Diamond Fiveというグループのピアニストと
して活躍したとの事です。僕は、このグループによる“Brilliant!”(Fontana)との
タイトルのレコードを所有していたにも関わらず、これまで彼の名前は記憶していま
せんでした。さらに恥ずべき事には、本コラム第3回で紹介し、僕自身の大愛聴盤で
あったはずのAlvin Queen(Ds)〜Dusko Goykovich(Tp)をリーダーとする“A Day in
Holland”(Nilva)というレコードにおいても、ピアノの椅子には実は彼が坐っていた
のでした。僕はこれまでにこの作品を恐らく何十回も聴いてきたのですが、このコラ
ムを書くに際して資料を紐解くまではこの事実を全く知らず、穴があったら入りたい
ような気分です。
 しかしいずれにしても、このように未知の素敵なジャズミュージシャンを新たに見
つけ出すという事はファンならではの秘かな楽しみであり、このような発見があるか
らこそいつまで経ってもジャズファンは止められそうにありません。
 ではまた来月、皆様どうぞこの5月の緑多き豊かな季節を存分にお楽しみ下さい。
                            (2008年5月10日 記)