「ヴォイスの客」はらすすのジャズよもやま話
連載第72回 山形の聖地「オクテット」へ

 去る10月末に、僕は約16年振りに生まれて2度目の山形市の土を踏む機会を得る事
が出来ました。そして仕事が終わるや否や、僕の足は当然ながら、日本中にその名が
響き渡っており熱心なジャズファンならば恐らく知らぬ者はないと思われる有名なジャ
ズ喫茶「オクテット」へと向かったのでした。実は16年前に初めて山形を訪れた時に
僕のとった行動も今回と全く同様であり(結局、いつまで経っても全然成長していな
い証しなのでしょうが…)、その際には「オクテット」に足を踏み入れた感動を、例
によってスイングジャーナル誌に投稿し、1992年1月号の読者通信に掲載されました。
少し面映い感じなのですが、その時に書いた文章をここに再掲させて頂きます。

『            山形を訪れて得た“往年のジャズ喫茶”感覚
 9月某日、仕事で生まれて初めて山形に行く機会を得、仕事の合間をぬってかねて
から噂に聞いていたジャズ喫茶「オクテット」を訪れることにした。探したずねてよ
うやく店の前まで達した時には、店のネーム・バリューに比してそのあまりにもささ
やかなたたずまいに、いささか拍子抜けの感も否めなかったが、店内に1歩足を踏み
入れるや、われわれがとうの昔に忘れかけていた往年のジャズ喫茶の持つ熱気と香り
をいっぱいに漂わせ、なにか初めて来たのではないような懐かしい安堵感を覚えてし
まった。
 マスターの相沢氏に兵庫県から来た旨を告げ、しばらくの間話をしていただいた。
以前に何度か氏の書かれた文章を読む機会があり、その文体から暖かい人柄を想像し
ていたが、実際に出会った相沢氏は優しい笑顔と東北弁を交えた暖かい語り口が魅力
的な、想像通りの人であった。
 とりわけ、話が氏の最も敬愛するズート・シムズにおよんだ時に、「ズートは最後
までスタイルが変わらなかったもんなー」とぽつりと言われたひと言がなぜかとても
印象的であった。レニー・ニーハウス、サル・ニスティコ等の珍しいレコードを聴か
せていただいて店を後にした時には、陽はすでにどっぷりと暮れ、街はすっかり暗闇
におおわれていた。
 若い客が少なくなって経営的にも大変だと言われていたが、こんな店こそいつまで
も生き残ってほしいと私は心の底から願わずにはいられなかった。そして、こんな魅
力的な店がいまだに存在している山形の街の人々に対して少なからず羨望の念を感じ
つつ、帰途についた。                      』

 ところが今回は、残念ながらマスターの相沢さんは恒例の年に2回のニューヨーク
旅行中との事であり、その代理としてお店を預かっておられるママさん(?)に色々と
お話をして頂きました。お店は、僕が前回訪れた時と比べて約5m移動したとの事で
したが、僕には16年前の店内の状態の記憶がほとんど残っておらず、教えて頂くまで
そのような事には全く気付かない状態でした。ただ間違いなく言えるのは、前回訪れ
た際の印象と寸分も変わらず、高校生の僕がよく通っていた頃のいわゆる全盛期のジャ
ズ喫茶が有していた特有の熱い熱気を今なお色濃く漂わせているとの印象をひしひし
と実感できたという事でした。ところが、ママさんの弁によると以前にも増して若い
世代の客足が遠のき、最近は高校生はおろかジャズ研の大学生すらほとんど来店しな
いとのお話でした。以前にも述べたように、僕が高校生の頃にはジャズ喫茶に足を運
ぶという事は大人の世界に足を踏み入れた事を実感させてくれる一種のステイタスで
したので、このような事実は僕にとっていささかショッキングでした。
 “ご免なさい。マスターがいないので、どこにどのレコードがあるのか分からず、
レコードのリクエストには答えられないの。”とママさんは笑いながら言っておられ
ましたが、壁面にはCriss Cross盤などを中心とした新譜CDが数多くディスプレイさ
れており、マスターが現在のジャズシーンもなお熱心に追っておられるという事が充
分に体得できました。そして、Mulgrew MillerのMax Jazz盤などの現代の正統派のモ
ダンジャズの CDを聴かせて頂き、やっぱり今回もまた僕の心は「オクテット」に魅
了されっぱなしとの次第となったのでした。
 ではまた来月、晩秋とは言えまだまだ暖かい日々ですが、皆様どうぞお元気でお過
ごし下さい。
                            (2007年11月10日 記)