「ヴォイスの客」はらすすのジャズよもやま話
連載第62回 Clifford Jordan「In The World」とジャズ喫茶への回顧

 昨年の11月にClifford Jordanの「In The World」(Strata East)という作品がCDで
復刻発売されました。この作品は1969年に吹き込まれたのですが発売されたのは1972
年であり、ちょうど僕がジャズ喫茶に通い始めた年と一致します。本コラムの第3回
でジャズ喫茶名盤についてお話しましたが、本作もまさしくジャズ喫茶名盤との言葉
が相応しい作品であり、往時のジャズ喫茶では人気盤として繰り返しリクエストされ
たものでした。ところが、オリジナル盤の発売枚数はどうやら極端に少なかったよう
ですし、またその後レコードおよびCDのいずれにおいても長い間再発される事はなく、
僕自身もこの作品はずっと探し続けていたものの結局未だに入手する事は出来ません
でした。今回、Clifford Jordan夫人が所有していたオリジナルマスターテープを借
り出して、ようやく30余年振りの復刻にこぎ着ける事が出来たとの裏事情があったそ
うです。
 演奏内容はと言うと、Don Cherry (!)または Kenny Dorhamのトランペット、
Julian Priester のトロンボーン、 Clifford Jordan のテナーサックスの3管をフ
ロントとして、Wynton Kelly (p) ・Wilbur Ware またはRichard Davis (b)・Albert
"Tootie" Heath (ds)のリズムセクションがこれを支えるといったメンバー達によっ
て熱いモダンジャズが繰り広げられており、まさに1960年代末のジャズの金字塔アル
バムと呼ぶべき作品です。この頃のジャズ喫茶では、エレクトリックジャズやフリー
ジャズのレコードがかなりの頻度でかかっていたため、そのような演奏にいささか辟
易としていた後にこのレコードがかかると、僕はまさに一服の清涼剤を得たような気
分に達したものでした。
 今回再発に際してHMVのメーリング広告を眺めていたところ、リスナーの方から本
作に関するコメントが寄せられていました。僕にとって非常に強い共感を感じる魅惑
的な小文であったため、許可は頂いておりませんがここに勝手に引用させて頂きます。
『数年前、Strata-EastのレコードのCD化が実現したとき、当然本盤もラインナッ
プに加わっていると思いショップに駆け込んだのだが、何故かこのアルバムがなかっ
た。 ようやく真打の登場である。驚いた。正直、嬉しい。 とくに、1曲目の
「Vienna 」は、哀感漂うただよう旋律が美しく、ジャズの初心者でも耳に心地良く
響くはずだ。 また、本盤は所謂「ジャズの名盤」として評価されていただけではな
く、ある時代に 全盛をきわめていたジャズ喫茶という空間の雰囲気を体感するため
にも、格好の1枚になるだろう。』どうでしょうか?僕と同じジャズ喫茶世代の方々、
すなわちあの熱かったジャズ喫茶を体験してこられた方々には、この文章を読まれる
と何か心に染み入るものを感じ取って頂けるのではないでしょうか?
 僕は今でも折に触れてはジャズ喫茶に足を運んでいます。勿論、今でもジャズ喫茶
は僕にとって安息の場である事には変わりはないのですが、ジャズ喫茶に通い始め
た1970年代前半と現在のジャズ喫茶とでは何か少し違うなという感覚を僕はずっと持
ち続けてきました。その違いはと言うと、1970年代前半のジャズ喫茶はどこの店でも
店内は薄暗く基本的には会話厳禁であるという、現在の感覚から考えるといささか居
心地の悪い空間でしたが、その代わりに客同士の間では閉鎖空間に身を埋める事を共
有する連帯感に似た感情が存在していたように思います。それは、まだまだ学生運動
のなごりが残っていた往時の若者達の熱き情熱を反映していたものだったのかも知れ
ません。僕自身のジャズ喫茶に対する思いは本コラムの第8回で既に語りましたが、
この文中で述べたように、このような往時のジャズ喫茶の持つ独特の雰囲気が“ジャ
ズ喫茶は大人の世界に興味津々の高校生の好奇心をくすぐるには十分すぎる場所であっ
た”との顛末となり、以降30年以上にわたって僕の人生をジャズ狂いにしてしまった
との次第なのです。
 僕は今でも、可能ならばタイムマシンに乗って今一度あの熱かった1970年代前半の
ジャズ喫茶を再訪してみたいと強く願っています。しかし、ジャズ喫茶があれ程魅力
的であったのは僕が多感な16歳の高校生であったからであって、50歳を過ぎて感受性
が鈍くなってしまった現在では、もし往時のジャズ喫茶を訪れる事が出来ても現実的
には失望するだけの結果になってしまうのかも知れません。
 という次第で、二度と戻ってこない僕自身の青春時代とあの熱かった1970年代前半
のジャズ喫茶に対して回顧の思いをはせながら、僕はせめてこのCDを楽しみたいと思
います。
 ではまた来月、暖冬とは言えまだまだ寒い日々ですがどうぞ皆様寒さに負けずにお
過ごし下さい。
                           (2007年1月10日 記)