「ヴォイスの客」はらすすのジャズよもやま話
連載第57回 太田寛二さんと1981年夏

 本コラムの第8回でも同じような事を述べたのですが、夏という季節は“暑くて嫌
だなあ”と感じることもしばしばあるものの、記憶に残るような出会いや思い出を経
験する機会の多い、僕にとっては最も印象深く且つ大好きな季節なのです。今回は、
ちょうど25年前に当たる1981年の僕の夏の想い出について述べたいと思います。
 僕に対して1981年夏を懐かしむような気持ちにさせたのは、今年の6月に復刻発売
された太田寛二さんというピアニストの“Blue High-land”とのタイトルのCDを購入
した事がきっかけでした。最近ディスクユニオンの協力下「昭和ジャズ復刻シリーズ」
とのネーミングで、昭和時代に発売された本邦ジャズメンによるアルバムのCD復刻が
盛んに行なわれており、この作品もそのシリーズの一貫として発売されました。僕が
初めてこのレコードの存在を知ったのは、「ジャズ批評」誌の別冊として1993年に発
売された「ピアノ・トリオ1600」という本の中の巻頭カラーで、ジャズ評論家の各氏
が所蔵しておられる御自慢のレア物ピアノトリオレコードを各10枚ずつ紹介するとい
う企画ページによってでした。この中で、瀧口秀之さんという評論家の方が外国盤の
レコードに混じて唯一の日本盤として、“ソニー・クラークを標榜するプレイで人気
の高いこの作品も最近見ない。小杉敏(b)岡山和義(ds)と1981年1月録音。”とのコ
メントと共に、この作品を紹介しておられました。それまでは、このレコード自体は
おろか太田寛二さんというピアニストの存在すら知らなかった僕だったのですが、
“ソニー・クラーク風のピアノだったら絶対聴きたいな”と、以降レコード漁りの際
にはこの作品もお目当てレコードの1枚として探しまわっていました。しかし、恐ら
く発売枚数が極端に少なかったとの理由もあったのでしょうが、結局その後10年以上
にわたってこのレコードにお目にかかる事は出来ませんでした。
 そのような経緯のため、この作品が復刻されるとのニュースを聞いて僕は狂喜し、
発売されるや早速CDショップに走る事となりました。そしてその内容はと言うと、全
く期待を裏切る事のないハードバップスタイル一直線のピアノプレイだったのですが、
それと共にライナーノーツを読んだ僕は脳天を頭突きされたかのような強い衝撃を受
ける事となったのです。大河内善宏さんという方が書かれたライナーノーツの一部を、
以下に引用してみます。“さて、この作品が録音された1981年といえば日本中が神戸
ポートピア81に、世界中がチャールズ皇太子とダイアナ・スペンサ−との結婚に沸き
かえった年だ。オリコンでは寺尾聡「ルビーの指輪」が、ビルボードではオリビア・
ニュートン・ジョン「フィジカル」が大ヒットしていた。田中康夫の「なんとなくク
リスタル」という奇怪な本もヒットしている。そんな世間の流れとは全くかけ離れた
ところで製作された太田寛二のデビュー作品「ブルー・ハイランド」。はたしてリア
ルタイムで何人の人がこの作品を聴いていたかは定かではないが、そんなに多くない
ことは想像に難くない。和ジャズ・ピアノ・トリオの歴史において欠かすことのでき
ない特Aの作品だ。四半世紀の時を経てCDという形で多くのリスナーの耳に触れるこ
とは感慨深いものがある。”
 このライナーを読んで、僕は思わず“そうか、この時代だったのか!”との深い感
銘を受ける事となりました。当時すでに26歳になっていたものの、恥ずかしながら僕
はまだ大学生生活を続けていました。その頃少し仲の良かった女の子が神戸ポートピ
ア81でアルバイトをしていた関係もあって、陽が西に傾いて涼しくなると僕も何度も
神戸ポートピア81に通い、その結果本コラムの第16回で紹介したコンコードオールス
ターズによる素晴らしいライブ演奏を聴く事も出来ました。また、ちょっと渋い大人
の男に憧れていた(実物は未だに全く渋くはないが…)僕は、寺尾聡さんの「ルビーの
指輪」が含まれた「Reflections」というアルバムをカセットテープに録音し、繰り
返し聴いては感動で心を震わせていましたし、田中康夫さんの「なんとなくクリスタ
ル」という奇怪な本も話題にのぼるや否や早速読破しておりました。このような少し
軽薄な僕が存在していたまさにその時代に、太田寛二さんは当時22歳という若さです
でにこのような作品を吹き込んでいたのかと考えると、ライナー氏の言われるように
一種の感慨の念を感じずにはおられません。
 その後、太田寛二さんは演奏の場の主体をアメリカに移されたようで、以降の作品
は2002年に発表された“If you could see me now”(What`s New)というアルバムが
1枚あるのみですし、僕も実際に生で太田さんのライブを聴いた事は未だに1度もあ
りません。しかし、こうして1枚のCDを聴いた事を契機にして、自分自身の遠い昔の
思い出が蘇ってくるなんて、音楽って本当に魅力的だなとひしひしと痛感してしまい
ます。
 ではまた来月、うだるような暑さの日々ですが皆様どうぞお体に気をつけてお過ご
し下さい。
                           (2006年8月10日 記)