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「ヴォイスの客」はらすすのジャズよもやま話
連載第55回 オーセンティックなバーの止まり木で
見知らぬ街を訪れて夜飲みに行こうかなと考えた際に、まず僕が探すのがジャズラ
イブハウスや古いレコードを聴かせてくれるジャズバー等ですが、特に地方都市では
そのような店はそう簡単には見つかるものではありません。本コラムの第18回でもそ
のような事に関して少し述べましたが、僕はいわゆるスナックのようなお店は大の苦
手であり、見知らぬおっさんの歌うカラオケの唄声も、カウンターの中のおねえちゃ
んとの会話もエンジョイする事ができません。まかり間違ってそのような店に連れて
行かれた際には、居心地の悪さでお尻がムズムズしてくるのを感じてしまうのです。
そんな僕が、ジャズのお店が見つからない時に探すのが、蝶ネクタイ姿かもしくはバー
コートを身に纏った正統派のバーテンダーがカウンター内に佇む、いわゆるオーセン
ティックなバーなのです。
僕は、もう今から四半世紀も前になる20歳代半ばの頃から、神戸の正統派のバーに
は結構足を運んできました。神戸には今でも「アカデミー」や「やながせ」などの長
い歴史を有した老舗のバーがありますが、当時には「ギルビー」「ルル」「ハイボー
ル」などといった今は無き懐かしい名店が数多く存在していました。そして、それら
のお店の中でもとりわけ僕の心にその思い出が深く刻み込まれているのが、「ルル」
という店なのです。「ルル」には往時、一見クラーク・ゲーブルを彷佛とさせるよう
なハンサムでダンディなマスターの長原さんがカウンター内に陣取っておられました
が、長原さんはグラスに入れる氷を割るのにアイスピックを用いるのではなく、1つ
1つ包丁で器用に切っておられました。あれから長い年月が経ちましたが、その見事
な手さばきの光景は今でもなお鮮明に僕の脳裏に蘇ってきます。
そして、そのようなオーセンティックなバーのカウンター席の事を“止まり木”と
称するようですが、ジャズレコードのジャケットにもバーのカウンターをモチーフに
した作品が何枚か見受けられます。女流ピアニストのDorothy Doneganはパーカッシ
ブかつジャンピーなユニークなスタイルを有したピアニストですが、彼女のRoulette
盤「At the Embers」ではバーのカウンターに腰掛ける2人の女性のお尻と足を捉え
た写真がジャケットに描かれています。彼女たちの両脇には恐らく女性陣を口説こう
としている男性達の姿も見られ、バーで繰り広げられる様々な光景が想像されて思わ
ずにんまりとしてしまいます。
Chu Berryの「Chu」は、Epicに6種類あるAlan Steigが描いたネコジャケットシリー
ズのうちの1枚ですが、バーカウンターの止まり木に男性客と並んでネコが腰をかけ
て煙草をふかしているといった可愛らしいイラストジャケットが魅力的です。僕が初
めてこのシリーズの存在を知ったのは、1986年6月に発売された「ジャズ批評」54号
の中での、当時津村順天堂の社長であった津村昭さんのジャズレコードコレクション
に関するインタビュー記事によってでした。記事の中で津村氏は、“ほうぼうの業者
にぜひ欲しいからといって問い合わせたら、この有り様”とのコメントと共に、この
6種類のネコジャケットシリーズのレコードを合計で約170枚所有していると語って
おられ、“お金持ちってすごいなあ”と当時新米レコードコレクターであった僕を驚
愕させたものでした。
しかし何と言っても、僕の知りうる範囲内でバーのカウンターの雰囲気を見事に捉
えた最高作はPablo盤の「One for My Baby」という作品ではないかと思います。テナー
サックスのPlas Johnsonをフロントに迎え、Gerald Wigginsのピアノ・Andy
Simpkinsのベース・Albert Heathのドラムスのリズムセクションを従えたギター
のJoe Passのリーダーアルバムであるこのレコードは、演奏内容自体もハードボイル
ドな雰囲気が充満したものですが、ジャケットの渋さといったらそれはもう筆舌に尽
くせません。仕事も家庭もうまくいかず人生に絶望したような雰囲気を漂わせつつグ
ラスの中のウイスキーを静かに舐めるように飲みほす1人の客、その客の話に相槌を
打ちながらもつかず離れずグラスを磨き続けるバーテンダー、1枚のジャケット写真
がそのような2人の微妙な関係を語りかけてくるのです。このように、バーというス
ペースは古今東西で恐らく男女の出会いや別れといった多くの人生模様を演出するス
ペースとしての役割を果たし続けてきたのでしょう。そして、かくなる人生模様を求
めて僕達は今宵またバーへと足を向ける事になる訳なのです。
ではまた来月、そろそろ梅雨入りのうっとおしい季節ですが皆様どうぞお体に気を
つけてお過ごし下さい。
(2006年6月10日 記) |
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