「ヴォイスの客」はらすすのジャズよもやま話
連載第52回 Allan Botchinskyなんて知らないよ

 Allan Botchinskyというデンマーク出身のトランペッターを、僕は数年前までは全
く知りませんでした。僕にそのトランペッターの名前を教えてくれたのは「Voice」
の常連客のT氏だったのですが、“ヨーロッパの知る人ぞ知る存在のトランペッター
です”と教えて頂いたのに対して、その当時の僕が思い当たるヨーロッパの知る人ぞ
知るトランペッターと言えば本コラムの第3回で紹介したDusko Goykovich程度であっ
たため、“そんなトランペッターの名前は全く知らないよ”と返答した事を記憶して
います。T氏のユニークな人柄については、本ホームページ中のママさんの手になる
コラム「Black Coffee」の「Let's Get Lost」という項目で紹介されていますので、
少し引用してみましょう。『私の手元にあるチェット・ベーカーのCDの大半は近所に
住んでいるTくんからのいただき物です(15枚中の11枚)。でも聴いてません、ごめ
んなさい。私にはチェット・ベーカーのトランペットの良さが分からないのです。そ
れに増して、Tくん、もっと理解しにくい性格とラッパを所有されてます。お住まい
の1ルームマンションにラッパ(種類は聞かされてますが 記憶不能)がケースに入っ
て20本、レコード1000枚 スーツ60着 etc.。起きる時 天井に頭が当たるようなベッ
トだそうです。皆さん御想像いただけるでしょうか?Tくんはトランペットとフリュ
−ゲルを趣味で吹いているのですが、チェット・ベーカーの最後の頃を真似ているの
かと思う音なのです。大きい音も出せるのになぜか頑にかぼそい音で難しいアドリブ
をするのです。私はいつも「元気よく!はっきり音出して!なにを吹いているのか分
からん!」と怒鳴ってばかりなのに、いつも 超〜ど下手な私のピアノの相手をして
遊んでくれます。到底、理解できない友人のTくんを理解できるように料理しようと
レシピを考案中です。』というように、T氏はママさんのお友達でもある愛すべきキャ
ラの青年なのです。
 ところがその後、本コラム第14回でも紹介した澤野工房の手によって、徐々
にAllan Botchinskyの全貌が明らかにされる事となるのです。澤野工房は新世界の履
物屋さんの御主人でもある社長の澤野由明さんとパリ在住の弟さんの慧眼によって、
主にヨーロッパの素晴らしいミュージシャンを発掘しては新作をリリースし、多くの
ジャズファンの支持を得ておられます。そして同時に、やはりヨーロッパ中心に闇に
埋もれたかつての隠れ名盤を、全く往時そのままのスタイルでアナログ復刻するとの
お仕事も進めておられます。そのような次第により、数年前に「Poll Winner 59
/Bent Axen Duo、Trio、Quartet」および「Jazz Journey/Bjarne Rostvoid
Quartet&Trio」の2枚のアナログ盤がオリジナル盤そっくりそのままの状態で復刻
されたのですが、これらのレコードでは共にA面のみでAllan Botchinskyを加え
たQuartetによる演奏が展開されています。この2枚のうち、前者は1993年に発行さ
れたスイングジャーナル誌の別冊である「新・幻の名盤読本」中のWaveの広告欄で
「Wave選出 新・ヨーロッパの幻の名盤御三家登場!」とのタイトルと共にこのアル
バムが市場標準価格30万円との注釈付きで紹介されていたため、僕の記憶にも残って
いました。後者に関しては、僕は発売時に初めてその存在を知ったのですが、ライナー
ノートによると欧州ジャズレコードコレクターの間では「馬車」との愛称で呼ばれて
きた作品であり、オリジナル盤を入手するためにはロレックスの時計くらいの値は要
するとの事ですので、どうやら前者に負けず劣らずのレア物の様です。その上さらに、
昨年の秋に澤野工房はついにAllan Botchinsky自身のリーダーアルバムである「Jazz
Quintet 60」とのタイトルの作品までをもアナログ復刻されたのでした。ところがT
氏にこのレコードの印象を尋ねると、“いまいちやなあ”との辛口の答えが返ってき
ました。その理由として僕が察するに、Allan Botchinskyは1940年の生まれであり、
従って上記の3枚のレコードの録音時にはまだ20歳過ぎという若さだったとの点に起
因するのではないかと思います。僕が聴いていても、確かに1950年代のMiles Davis
やClifford Brownを彷佛とさせるようなリリカルなプレイを繰り広げていて大変魅力
的なのですが、反面まだ彼自身の個性が十分に発揮されているとは言い難いようにも
感じられます。
 それに対して、つい最近僕はインターネットによるオークションで、「ジャズ批評」
誌が彼の最高傑作として推奨していた1982年録音の「Allan Botchinsky Quintet」
(Stunt)というレコードを入手しました。この時代には彼も40歳を過ぎてそのプレイ
にも円熟味が加わっており、どうやらこの頃が彼のキャリアにおける絶頂期であった
のではないかと思わせるような凄まじい演奏が繰り広げられています。このような素
晴らしい演奏を耳にすると、僕にこのミュージシャンの名前を教えてくれたT氏に感
謝の気持ちで一杯になってしまいます。T君、どうも有り難う!
 ではまた来月、特別寒かった今年の冬もようやく終わりかけて少しずつ春めいてき
ましたが、皆様どうぞ春の到来を楽しみに頑張ってお過ごし下さい。 
                           (2006年3月10日 記)