「ヴォイスの客」はらすすのジャズよもやま話
連載第100回 老いるという事

 今、僕の手元に“Jazz Invention/Howard Rumsey`s Lighthous
All-Stars”(Contemporary)というレコードがあります。Howard Rumsey`s Lighthous
All-Stars結成40周年を記念して吹き込まれたこの作品は、本コラム第40回でご紹介し
た“Howard Rumsey`s Lighthous All-Stars Vol.6”(Contemporary)の再会セッションで
もあり、アルバムジャケット自体もオリジナルセッションのジャケットを再現したデ
ザインになっています。オリジナル録音が1955年であるのに対して、再会セッション
は1989年の吹き込みですので、両者間には34年の隔たりがあり、ジャケットに写し出
されたミュージシャン達の姿を眺めると、時の流れを実感させられる事となります。
しかし、当時既に演奏活動を止めていたHoward Rumsey(B)やStan Levey(Ds)は他のミュー
ジシャンが代演しているものの、Bud Shank(As)・Bob Coorer(Ts)・Conte
Candoli(Tp)などは再会セッションでも元気な姿を見せています。ところが、再会セッ
ションから既に20年以上の月日が流れ、今では彼らもすべて鬼籍の人となってしまい
ました。オリジナルメンバー中で現在なお存命中であるのはピアノのClaude
Williamson唯一人である事を考えると、感無量になってしまいます。
 本コラム第23回では、「It Was a Very Good Year」という曲を紹介しました。人生
が残り少なくなった時期に達して、自分自身の過去をしみじみと振り返るという内容
の歌詞がとても味わい深い作品であり、“When I was 35、it was a very good year(
中略)But now the days are short、I`m in the autumn of the year”と唄われていま
す。ただ、僕が初めてこの曲を知ったときには自分自身がまだ35歳には達していなかっ
たため、“ああ、そんなもんなのかな”という程度の理解だったのですが、既にその年
齢から20年近くが過ぎ去り、まさしく人生の“in the autumn of the year”に達してし
まった現在、ようやくこの曲の歌詞の意味を心底理解できるようになりました。
 僕の大好きな村上春樹さんによる「回転木馬のデッド・ヒート」という短編集に収
められている「プールサイド」という小品に対しても、僕は似通った感覚を抱いてし
まいます。“35歳になった春、彼は自分が既に人生の折り返し点を曲がってしまったこ
とを確認した。いや、これは正確な表現ではない。正確に言うなら、35歳の春にして
彼は人生の折り返し点を曲がろうと決心した、ということになるだろう。”との書き出
しで始まるこの作品を初めて読んだ時には僕はまだ35歳に達していなかったのですが、
35歳の誕生日を迎えて以降、すなわち春樹氏の言うところの“人生の折り返し点”を曲
がってしまった後は、常に心の片隅にこの作品を意識しながら過ごしてきたような気
がするのです。
 神戸元町にある「Jam Jam」というジャズ喫茶については、本コラムの第87回で少し
触れました。昨今はジャズ喫茶と言ってもお喋り自由なバー形式のお店が多い中、こ
のお店は現在なお、店内の半数以上を占めるスピーカー側の座席では“会話厳禁”との、
昔ながらのジャズ喫茶のスタイルを貫いている硬派のお店です。従って、僕が高校生
?大学生の頃に散々通い詰めた往時のジャズ喫茶の雰囲気を色濃く残している店と呼
べるのですが、「Jam Jam」を訪れてノスタルジックな気分を味わおうとしても、いつ
も何か昔とは違うなあという気分を感じてしまいます。その原因は明らかで、ズバ
リ“客の年齢層”が昔とは異なるのです。すなわち、特に会話厳禁”の席には若者の姿は
少なく、僕と同じくかつてのジャズ喫茶世代であった40代?50代のオヤジ達がほとん
どを占めています。恐らくみんな、自分自身の青春時代に思いを馳せて「Jam Jam」に
足を運んでいる事なのでしょう。
 最後はやはり村上春樹さんで締める事にしましょう。「村上ラヂオ」というエッセ
イ集の中の「恋している人の様に」とのタイトルの作品で、春樹氏は次のように述べ
ています。“10代後半くらいの少年少女の恋愛には、ほどよく風が抜けている感じがあ
る。深い事情がまだわかってないから、実際面ではどたばたすることもあるけれど、
そのぶんものごとは新鮮で感動に満ちている。もちろんそういう日々はあっという間
に過ぎ去り、気がついたときにはもう永遠に失われてしまっているということになる
わけだけど、でも記憶だけは新鮮に留まって、それが僕らの残りの<痛々しいことの多
い>人生をけっこう有効に温めてくれる。僕はずっと小説を書いているけれど、ものを
書く上でも、そういう感情の記憶ってすごく大事だ。たとえ年をとっても、そういう
みずみずしい原風景を心の中に残している人は、体内の暖炉に火を保っているのと同
じで、それほど寒々しくは老け込まないものだ。”
 老いるという事は、確かに心寂しい事かも知れません。しかし春樹氏の説に従うと、
若い頃に散々ジャズの洗礼を浴びた事が現在の僕たちの“体内の暖炉”であると言える
ようにも思います。従って、僕もすっかり年をとってしまいましたが、これまで長い
間人生を共に過ごしてきたジャズとの思い出を心の糧として、今後も常に“体内の暖
炉”を暖め続けていきたいと考えています。
 本コラムも今回で第100回を迎え、開始時には46歳の若さ(?)を誇っていた僕も、間
もなく満55歳を向かえる事となりました。これを節目にして、とりあえず月1の連載を
終了させて頂くことにします。また何か書きたい事が生じた時には不定期でコラムを
書かせて頂きます。8年以上にわたって唯1度も休むことなく月1の連載を続けられた事
に感謝したいと思います。
 長期間に及ぶご愛読、誠に有り難うございました。
                        (2010年3月10日 記)