?「ヴォイスの客」はらすすのジャズよもやま話
連載第5回 Grant Greenと“Keystone Korner”での思い出
 
 1975年(昭和50年)、20歳だった僕は夏休みに米国カリフォルニア州バークレーにあ
るカリフォルニア大学バークレー校へ4週間の短期語学留学へ行く機会に恵まれまし
た(但し、肝心の英語は全く上達しませんでしたが…)。バークリ−滞在も終わりに差
し掛かった8月末のある夜、学校で知り合ったジャズファンの先輩と2人でサンフラ
ンシスコにあった“Keystone Korner”へジャズを聴きに行こうという相談がまとま
りました。“Keystone Korner”というと今はもう存在していませんが、1970〜1980
年代には西海岸を代表するジャズクラブであり、Art Blakey・Red Garland・Bill
Evans等の名演のライブレコーディングが残されています。当日の出演はGrant Green。
今でこそ、超有名ジャズギタリストと評価されていますが、僕のおぼろげな記憶では
当時はそれ程の人気ではなかったようで、当日の演奏内容や店内の雰囲気等について
は全く覚えていないのですが、少なくとも客が超満員という事はありませんでしたし、
ジャズを聴き始めてまだ3〜4年目であった僕はもしかすると彼の名前自体すら知ら
なかったかもしれません。
 当日、ただ一つ現在なお鮮明に記憶している出来事がありました。演奏中に僕が席
を立ち、トイレで小用を足していたところ、事もあろうに演奏中にもかかわらず当
のGrant Green本人もトイレにやってきて、僕の隣で用を足し始めたのです。その時
の僕の驚きといったらとても筆舌につくしようがありません。緊張感で心臓は鼓動を
打ち、何か気の利いた事を話し掛けねばとは思ったものの口に出す勇気も語学力もな
く、一方のGrant Greenはと言えば、当然の事ながら隣にいる日本人の若造などには
何の関心もないそぶりで、用を足すと悠然とトイレから立ち去りステージへ戻ってま
た演奏を再開しました。結局、僕とGrant Greenとの長くて短い連れション状態は、
何の会話をかわす事もなくあっけなく終わってしまったのでした。
 ところが数年後、また僕を驚かす事態が生じました。パラパラとスイングジャーナ
ル誌を見ていた僕はある1つの記事に目が釘付けになつてしまいました。それは、
Grant Greenの訃報を知らせる記事だったのです。1979年1月30日、心臓発作によっ
て彼はわずか47歳でこの世を去ってしまいました。“あの時にはあんなに元気そうだっ
たのに”と僕は何とも言えず感傷的な気分になってしまった事を覚えています。しか
し、1980年代以降どういう訳かGrant Greenの人気は日本でどんどん高まり、現在で
はWes MontgomeryおよびKenny Burrellと並ぶ3大ジャズギタリストといった評価す
ら得ています。芸術家の場合ジャンルを問わず、生きている間は不遇であったにもか
かわらず死後に評価が高まるという事態はしばしば起こりうる事ですが、彼の場合も
それに近いものがあったように思います。その理由を僕なりに分析してみると、まず
第一に生前彼がレコードに吹き込んでいた演奏の多くがオルガントリオをバックにし
たいわゆる“コテコテ”のファンキ−ジャズであり、1970年代頃まではそういった演
奏が日本ではキワモノ扱いをされていたのに反して、1980年代以後そのような演奏を
再評価する気運が高まった事、そして2番目にアメリカでは逆にそのような“コテコ
テ”ジャズの人気が高かったために、1960年代に彼が吹き込んでいた正統派ハードバッ
プジャズはオクラ入りになったままで発売されていなかったのが1980年以降ようやく
発売に至り、これらの演奏が日本で評判を獲た事の2点が挙げられるように思います。
特に1961年から1962年にかけて吹き込まれたSonny Clark TrioをバックにしたGrant
Green Quartetのセッションは抜群に素晴らしく、どうしてこのような演奏が吹き込
み後20年もの間オクラ入りのままの状態であったのか信じられない気持ちです。この
時の録音は1980年代初頭に3枚のLPに分散されて、日本でのみキングレコードから発
売されました。「Gooden`s Corner」「Oleo」「Nigeria」とタイトルされたこの3枚
のLPはジャケットの素晴らしさも相まって現在なお大変な人気盤で、中古レコード市
場で見かける事めったにありませんし、たとえあったとしても1万円前後もの大変な
高値が付けられています。なお、この演奏は現在「Grant Green /The Complete
Quartets with Sonny Clark」(Blue Note 57194)とのタイトルの2枚組輸入盤CDで入
手可能です。
 そして彼の演奏を耳にする度に僕は、今は無き“Keystone Korner”で今は亡
きGrant Greenとトイレで一瞬の時を共有したという、ささやかだけど今となれば決
して戻る事の出来ないまるで時の流れの悪戯としか思えないような思い出が胸に込み
上げてくるのを感じてしまいます。
 ではまた来月、皆様ゴールデンウィークの到来を楽しみにして頑張りましょう。
                      (2002年4月13 日 記)