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「ヴォイスの客」はらすすのジャズよもやま話
連載第44回 原宿のオアシス「ボロンテール」
僕には年に2〜3回程度東京出張の機会がありますが、僕にとっての出張の楽しみ
はというと何と言っても仕事が終わった後にレコード屋を廻ってレコード漁りをする
事です。以前には僕にもバブリーな時代があり、その頃には西新宿の「コレクターズ」
や大久保の「ヴィンテージマイン」といった廃盤専門店を訪れたりもしていたのです
が、バブルの終焉と共にこれらの店も姿を消し、そして資金減に悩む僕も近頃は新宿
「ディスクユニオン」辺りで以前に買い漏らした日本盤の中古盤を中心にレコード探
しをしています。
お目当てのレコードが見つかって心が満たされた後には、当然ながらジャズ喫茶で
美味しい珈琲を飲みたくなってきます。しかし近年は新宿で昼間から開店しているめ
ぼしいジャズ喫茶を見つける事ができず、少し電車に乗って四ッ谷「いーぐる」・中
野新橋「ジニアス」・原宿「ボロンテール」などに足をのばしていたのですが、最近
は中でも原宿「ボロンテール」が僕のお気に入りとなり主にこの店に足を運んでいま
す。
原宿は若者の街であり、ネクタイをしめたおやじが特に日曜日などに一人で歩いて
いるとたまらなく場違いな気分を味わってしまいます。しかし、明治通りを少し歩い
て古めかしいビルの2階にあるこの店まで辿り着くと、そこには周りの喧噪が嘘のよ
うな全くの別世界が存在しているのです。店内は分厚い木の一枚板からなる古いカウ
ンター10席余りのみの狭いスペースですが、壁一面を占めるレコードやジャズメンを
描いた古めかしいイラストなどが店の雰囲気をしっとりと落ちついたものにしてくれ
ています。夜7時からはBar営業となりママさんが登場されるそうですが、僕は未だ
夜の営業時間帯に訪れた事はなく、もっぱら昼間の喫茶タイムにカウンターを預かる
ママさんの弟さんから珈琲を飲ませて頂いています。このお店ではBilly Holiday
やLester Young、Count Basieなどといった古いミュージシャンが特にお好みだそう
で、左写真のような和田誠さんのペンより成る上記の3人のイラストが描かれたコー
スターと共に飲み物がサーブされます。
ところで話は突然変わりますが、皆様は村上春樹氏の近著である「アフターダーク」
をもう読まれましたでしょうか?この作品の評価は週刊誌の書評では賛否両論まちま
ちでしたが、決して大作ではないものの心暖まる佳作であり、僕は結構楽しく読み通
す事が出来ました。とりわけジャズファンにとっては、登場人物の高橋君が中学生の
時に中古レコード屋でたまたま「ブルースエット」を買ってカーティス・フラーのト
ロンボーンを聴き、「そうだ、これが僕の楽器だ」と感じるに至る“運命の出会い”
によってトロンボーンを始めたと語るくだりや、主人公のマリがラブホテルのオーナー
のカオルに真夜中のジャズバーに連れていかれるシーンなどは、村上氏のジャズに対
する愛情がひしひしと実感されて心癒されます。特に後者では、2人が店内に入った
時にはベン・ウェブスターの古いレコードがかかっていたのが、その後デューク・エ
リントンの「ソフィスティケイティッド・レイディー」へと変わるのですが、その場
面で村上氏はこの状況を評して「溝をトレースするレコード針。気怠く、官能的なエ
リントンの音楽。真夜中の音楽だ。」とのジャズファンの琴線に触れるような名文を
したためておられます。
そして僕が「アフターダーク」のこのシーンを読んでいた時に、まず頭に浮かんだ
のが「ボロンテール」のイメージだったのです。この小説とまさしく同様に、深夜の
原宿のBarのカウンターの止まり木でバーボングラス片手に心地よい酔いを感じつ
つLester YoungやBilly Holidayの古いレコードに耳を傾けるていると、村上氏なら
ずとも間違いなく「真夜中の音楽だ」との実感を味わう事が出来るでしょう。
ところが、昨年に「ボロンテール」訪れた際に『もしかしたら近い将来、区画整理
により東京都から立ち退きを強いられるかもしれない』とのショッキングなお話を伺っ
てしまいました。万が一そのような事態になったら、たとえ「ボロンテール」自体は
移転して営業を再開されたとしても、現在のお店のようなしっとりとした落ち着いた
雰囲気を保つ事は限りなく困難に近い事でしょう。従って、「ボロンテール」の現在
の状態のままでの維持を願いながらも、もしもの場合も想定して近々東京へ赴かれる
機会があるようでしたら是非共一度「ボロンテール」を訪れてみて下さい。
ではまた来月、まだまだ梅雨のようなうっとおしい日々が続きますが皆様どうぞ体
調維持に気をつけてお過ごし下さい。
(2005
年7月10日 記) |
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