「ヴォイスの客」はらすすのジャズよもやま話 連載第3回 Dusko Goykovichとジャズ喫茶名盤 かつて1970年代〜1980年代にはジャズ喫茶名盤と呼ばれるレコードがありました。 大概日本盤は未発売であるため広く注目される事はないものの、ジャズ喫茶を中心に してマニアの間で注目を集め静かなブームを起こしているようなレコードの事をこの ように称していたわけです。例を挙げると、Richard WyandsのJazzcraft盤 「Then,Here and Now」やRonnie MathewsのRed盤「Song for Leslie」およびJack Wilsonの2枚のDiscovery盤「Innovations」「Margo`s Theme」等がそのようなレコー ドの代表格と認識されていたように記憶しています。そして中でもとりわけ、一般的 な知名度には欠けるものの知る人ぞ知るといった存在で熱心なファンの間で愛し続け られ、数多くのジャズ喫茶名盤を輩出したミュージシャンが今回の話題の主であるト ランペットのDusko Goykovichだったのです。 Dusko Goykovichは1931年にユーゴスラビアで生まれ、1960年代前半にはKenny Clark〜Francy Boland Big Bandに所属しBlue Noteの「The Golden 8」(BLP4092)に もクレジットされています。1966年に吹き込んだリーダー作「Swinging Macedonia」 (独Philips→Enja)はメッセージ色の強い作品ですが、彼の有名なオリジナル曲であ る「Old Fishermans Daughter」を含む人気盤です。その後1970年代〜1980年代前半 に吹き込んだレコードは多くがヨーロッパのマイナーレーベルからの発売であったた め、それほど多くの数が日本には入荷せず、その結果いわゆるジャズ喫茶名盤と呼ば れようになったという次第です。彼の“ジャズ喫茶名盤”の代表例としては1971年に スペインのEnsayoレーベルに吹き込んだ2枚「It`s about Blues Time」・「Ten to Two Blues」(この作品は後に独Enjaから「After Hours」のタイトルで再発されたた め現在でも入手可能です)や1980年の独Ego盤「After a Long Time」、1983年フラン スのNilvaレーベルから発表されたAlvin Queen(ds)との共同leader作「A Day in Holland」等が挙げられます。これらの作品では、Tete MontolluやJoe Haiderといっ た共演したピアニストとの相性もピッタリですが、このようなピアニスト達も今では 結構有名な存在であるのに反して、当時はDusko Goykovichと同様にやはり知る人ぞ 知るといった状態で、彼等のリーダーアルバムも同様にジャズ喫茶名盤扱いを受けて いました。 1990年代後半になると突然日本でDusko Goykovichの大ブレークが生じ、1996年に 初来日を果たすや以後4年間続けて来日し、この間にキングレコードに都合5枚のCD を録音するといった売れっ子振りです。このような状況は喜ばしい事である反面、昔 からのファンとしては彼がいささかメジャーになり過ぎた感も否めず、一抹の寂しさ も感じられて何だか複雑な気持ちです。左の写真はDusko Goykovichと僕との2ショッ トで、1996年6月の彼の初来日の際に兵庫県加西市の飯盛野教会で行われたライブの 後で一緒に写真を撮って頂き、1998年5月の再来日時に兵庫県中町のベルディホ−ル でのコンサート後にサインを頂いた僕の宝物です。 Dusko Goykovichの演奏を一言で表現するとしたら、“哀愁のハードバッパー”と でも呼ぶべきでしょうか?彼の演奏するオリジナル曲の多くはマイナー調の美しいテー マメロディを有しており、それが特に日本人の心情にマッチし心の琴線に触れる事に よって、現在日本で彼の人気を絶大なものにしていると思われます。最近の彼の演奏 も円熟味溢れる素晴らしいものですが、ハードさは以前に比べるといささか影を潜め ており、僕にとってはやはり1970年〜1980年代の“ジャズ喫茶名盤”と称された頃の 彼の演奏が哀愁とハードさとの両者をバランス良く持ち合わせた最良のものであり、 この頃が彼の絶頂期であったように思います。 皆様も機会があれば是非共Dusko Goykovichの演奏に耳を傾けて見て下さい。そう すれば、きっと貴方も彼のとりこになる事間違いなしでしょう。 ではまた来月、皆様どうぞ寒さに負けずにお過ごし下さい。
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