「ヴォイスの客」はらすすのジャズよもやま話
連載第24回 村上春樹氏とジャズ 

 このコラムの第1回で既に述べましたが、高名な作家の村上春樹氏は僕の西宮市立
香櫨園小学校の先輩に当たります。但し村上さんは1949年(昭和24年)の生まれであり、
1955年生まれの僕とは同時に小学校に在籍していた事はなく、もちろん個人的な知り
合いであった訳でもないのですが、同じ町内のすぐ近くに住んでおられたとの事です。
村上さんはその後芦屋市立精道中学校、神戸高校を経て早稲田大学文学部を卒業され、
卒業後は国分寺市で「ピーターキャット」というジャズ喫茶を経営しておられました。
また、氏はプロ野球ファンでもあり、29歳時によく通っていた神宮球場の外野席でヤ
クルトー広島戦を観戦中に突然「小説を書きなさい」との“神の啓示”を受け、この
結果処女作「風の歌を聴け」が誕生したという経緯はよく知られています。この様な
次第で、阪神間で青春を過ごした点・ジャズファンである点・プロ野球ファンである
点などから、僕は村上春樹氏に対して限りない親近感を覚えてしまうのです。
 村上さんの作品には独特の魅力があってどれも素敵ですが、僕は芦屋〜神戸を舞台
にしたという意味から、俗に“鼠三部作”と呼ばれる初期の作品である「風の歌を聴
け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」の3作品に対して特に深い愛着を覚
えます。これらの作品は、あたかも村上氏が敬愛するKurt VonnegutやScott
Fitzgeraldなどの小説を思わせるようなアメリカ小説風のオブラートに包まれている
ため、一読して直ちに舞台が芦屋や神戸だと実感する事はできません。しかし、僕が
毎日通勤途上に通っている阪神打出駅北側にある“サルのいる公園”が小説中に登場
したり(但し残念ながら、今年の始め頃にサルは死んでしまい、現在その公園にサル
は不在です)、僕たちが中高生の頃によく聴いていたラジオ関西の「電話リクエスト」
を彷佛とさせるようなラジオ番組が文中に登場したり等、そういった気分でこれらの
小説を読むと何だか懐かしさで胸が一杯になってきます。
 そしてジャズファンの村上さんらしく、本文中ではジャズをモチーフにした記述が
ふんだんに登場します。一例を挙げますと、“僕たちは食後のコーヒーを飲み、狭い
台所に並んで食器を洗ってからテーブルに戻ると、煙草に火を点けてMJQのレコード
を聴いた。”(「風の歌を聴け」)、“カセットテープで古いスタン・ゲッツを聴きな
がら昼まで働いた。スタン・ゲッツ、アル・ヘイグ、ジミー・レイニー、テディ・コ
ティック、タイニー・カーン、最高のバンドだ。”(「1973年のピンボール」)、“あ
る年にはケニー・バレルとB・B・キングのあいだを彷徨い、ある年にはラリー・コリ
エルとジム・ホールのあいだを彷徨う。”(「羊をめぐる冒険」)等々、ジャジーな気
分に溢れた秀逸な文章に思わずニンマリとしてしまいます。
 この件についても本コラム第1回で触れましたが、「ジャズライフ別冊:ジャズ情
報の本1982年度版」で、当時はまだまだ新進気鋭の作家であった村上氏に対するジャ
ズに関するインタビュー記事が掲載されています。この文中で村上さんは白人ジャズ
が特に好きだと述べておられ、その代表的なアルバムとしてLee Konitzの“Inside
Hi-Fi”(Atlantic 1258)と共に、Bud Shankの“Flute n` Alto”(World Pacific
1286)を挙げています。実はBud Shankは僕にとっても最もお気に入りのアルトサック
ス奏者の1人であり、この記事を読んで以降僕もどうしても“Flute n` Alto”を手
に入れたくなり、苦労の末にアメリカからのオークションでこのアルバムを入手した
という経緯があるため、この記事は僕にとってとても印象深いものです。“Flute n`
Alto”は、Claude WilliamsonトリオをバックにしてBud Shankがワンホーンで演奏し
ている2枚のアルバム、すなわち“The Bud Shank Quartet”(Pacific Jazz 1215)と
“Bud Shank Quartet”(Pacific Jazz 12130)の中の曲をピックアップして1枚のア
ルバムに収めたものです。僕は元の2枚のアルバムも所有しており、且つ僕の持って
いる“Flute n` Alto”はジャケットおよびレコード盤質共にやや汚れとノイズを有
したものであるにも関わらず、僕がこの演奏を聴きたくなった時には、フルートを演
奏するBud Shankを背景にした子供の姿をあしらったジャケットの魅力も相まって、
知らず知らずのうちに“Flute n` Alto”の方をターンテーブルにのせてしまいます。
 村上さんの神戸時代に関する印象深い文章がもう一つ、彼の著書である「Portrait
in Jazz 2」の中のHorace Silverの項に載せられています。この中で、村上さんは以
下のような文をしたためておられます。『つい昔話になるけれど、高校生の時にお金
をためて、アルバム「ソング・フォー・マイ・ファーザー」を手に入れた。ガールフ
レンドと一緒に神戸元町にある日本楽器に立ち寄って買った。ファクトリーシールで
包まれた、ずしりと重いまっさらの輸入盤。レコードに印刷されたブルーノート・レ
コードの住所は、まだニューヨーク61番通りの41丁目だった。彼女はとくにジャズに
興味は持っていなかったけど、「それ、素敵なジャケットね」と言った。季節は秋で、
空は晴れて、雲は目をこらさなくてはならないくらい高いところにあった。そんなこ
とまでよく覚えている。このレコードを買ったことが、よほど強く印象に残っていた
んだろう。』どうです、あの村上春樹氏が元町の神戸ヤマハでレコードを買っていた
なんて考えると、妙に親近感が湧いてきませんか?
 ではまた来月、皆様もこの晩秋の良き季節に村上春樹氏の作品を御一読されたら如
何でしょうか?
                             (2003年11月10日