「ヴォイスの客」はらすすのジャズよもやま話
連載第23回 笈田敏夫さんの思い出

 9月3日にジャズ歌手の笈田敏夫さんが亡くなられてしまいました。享年78歳でし
た。僕はかねがね男性ジャズボーカル好きを公言してきましたが、日本で唯一の男性
ジャズ歌手の大御所とも言える笈田敏夫さんも大好きでした。僕は過去に、東京出張
の際に今は無き有楽町そごうのホールでたまたま催されていた笈田さんのコンサート
に行ったり、「ゲソの気紛れコンサート」と題された笈田さんのリサイタルを聴くた
めに大阪まで出かけたりした事もあるのですが、基本的には1年に1度神戸ジャズス
トリートの際に笈田さんの追っかけをするというのがパターンでした。従って、僕に
とっての笈田敏夫さんの思い出を鑑みると、どうしても神戸ジャズストリートの様々
な場面が思い出されてきます。
 僕が初めて笈田敏夫さんの歌声を聴いたのもやはり神戸ジャズストリートでの事で
した。この催しも今年で既に第22回目との事であり、僕が笈田さんを初めて聴いたの
はまだ始まって3〜4回目位の頃と記憶していますので、恐らくもう20年近く前の事
と思います。場所は超満員の「ソネ」。その日、人垣で姿を見る事もできない状態と
なってしまったため、笈田さんは椅子の上に立って歌われるという事態となりました。
その時に「現在僕が最も好きな唄です」とのコメント付きで歌われたのが“It was a
very good year”という曲でした。「私が17歳の時、それはとても良い頃だった。…
…」との人生の終焉を迎えるに時期になって、自分自身の人生を振り返るという状況
を歌ったこの唄はFrank Sinatraの“September of my years”(Reprise)というアル
バムの中にも吹き込まれていますので、興味のある方は御一聴下さい。恐らくある程
度以上の年齢にならないと決して歌いこなす事の出来ないこの曲を、笈田さんは魅力
的なバリトンボイスでしみじみと歌い上げられ、超満員の観衆は感動で一瞬水を打っ
たような静けさの後にやんやの大喝采を浴びせるといった状態であり、僕自身もその
日を契機に笈田さんの大ファンとなりました。
 笈田さんは生涯に4枚のアルバムを吹き込んでおられ(それ以外に若き日にSPに吹
き込まれた曲を編集したCDも発売されていましたが)、僕はそのうちの3枚を所有し
ています。“It was a very good year”(TBM:1976年)は長いキャリアの後にようや
く誕生した彼のファーストアルバムです。“Forever”(RVC:1984年)はピアノカルテッ
トをバックに有名スタンダード曲を中心にしっとりと歌い込んだ、ある意味で最も笈
田さんらしいアルバムと言えるかも知れません。そして、興味深い事にこの2枚のア
ルバムのいずれにも上述の“It was a very good year”が吹き込まれており、この
曲に対する彼の思い入れの深さが窺えます。“Goodnight Sweetheart”(キング:
1989年)は結局彼の最終作となってしまいましたが、アメリカのミュージシャン達を
バックにして余り知られていない佳曲を中心に吹き込まれた小粋な作品です。但し、
これらのアルバムもいずれもが現在では既に廃盤になってしまい入手できないとの事
であり(HMVのインターネット上の通信販売では、“It was a very good year”の再
発CDの在庫が辛うじて残っていましたが…)、このような状況は笈田さんの実力を考
えると余りに寂しい気がします。
 左の写真は上が1989年、そして中が2000年のいずれも神戸ジャズストリートでの笈
田敏夫さんと僕との2ショットです。また、下の写真は昨年(2002年)の神戸ジャズス
トリートの際に「ソネ」で撮影したものであり、思えばこの日が僕の笈田さんの聴き
納めとなってしまいました。この場で笈田さんは「Frank SinatraもPerry Comoも80
歳まで歌い続ける事は出来なかった。だから、僕はたとえ岩にしがみついてでも80歳
までは歌い続けるつもりです。」との固い決意を述べておられました。男性の場合、
78歳という年齢は鬼籍に入るのに年齢的な不足はないのかも知れません。しかし、僕
は昨年に笈田さんのあの固い決意の弁を聞いたがために、笈田さんが亡くなられたと
の知らせに何だかたまらない虚しさを覚えてしまうのです。
 今年も間もなく神戸ジャズストリートの季節となり、10月11日〜12日に催される予
定です。僕も一応今年も行ってみようと思ってはいるのですが、例年ならば本部へ行っ
てプログラムを貰うや否や笈田敏夫さんの名前を探してその会場へ一目散といった行
動が僕のパターンでした。だけど今年からは誰をお目当てに聴きにいこうかなと今か
ら悩んでいますし、多分当日になるともう笈田敏夫さんはおられないのだという寂し
さが一層込み上げてくる事になると思います。
 ではまた来月、皆様どうぞ秋の良き日々を存分にお楽しみ下さい。
                            (2003年10月10日記)