「ヴォイスの客」はらすすのジャズよもやま話
連載第21回 「だむハウス」とKenny DrewのRiverside盤

 1974年(昭和49年)春、僕は京都の大学に入学する事になり、4月上旬に北白川の下
宿に入居すべく荷物の運び入れを行ないました。同じ大学に入学する事になった高校
の同級生のF君は入学式を待ち切れず既にいち早く京都の住人となっていましたが、
僕が京都に移り住むや否や彼が“下宿の近くに面白い店を見つけてん”と言いつつ連
れて行ってくれたのがブルースとジャズの店「だむハウス」でした。この店は長髪・
ヒッピー・学生運動等といった1960年代から70年代前半の若者文化をそのまんま引き
ずったような店で、ビールケースを積み上げて作った机が並ぶ薄汚れた店内にけだる
く流れるブルースやジャズが妙にマッチしており、独特の雰囲気を漂わせていました。
定食が200円と当時の価格の相場でも破格的に安く、勿論大したおかずは付いていな
いものの缶詰めの持ち込み可といった自由さから、貧乏学生の僕たちにとっては晩飯
を食うための店としても重宝で、結構通いつめたものでした。下の写真の記事は「だ
むハウス」を取りあげた当時の雑誌からコピーしたものですが、店内の雰囲気の一端
を味わって頂けるのではないかと思います。
 そして、僕の大学入学とまさしく時を同じくした昭和49年の4月に、ビクター音楽
産業は米国Riversideレーベルのジャズのカタログの中から名盤100枚をオリジナル通
りの形式で順次発売するという大規模なシリーズを開始し、その第1弾として、スイ
ングジャーナルのゴールドディスクの選定を受けて鳴り物入りで発売されたの
がKenny Drewの「Kenny Drew Trio」というアルバムでした。Paul Chambersのベース、
Philly Joe Jonesのドラムスを従えてスタンダード曲を中心に吹き込まれたこのアル
バムは、初発時に一部の熱心なファンの間で評判になるものの大きな話題を得るまで
には至らず、従って1956年の吹き込み以後本邦では一度も発売される事のないままこ
の時代を迎えていました。それ故、現在では超有名ジャズピアニストの1人と見なさ
れているKenny Drewも、この頃にはまだまだ知る人ぞ知るといった存在のピアニスト
に過ぎなかったという次第です。
 以前にも書きましたが、当時の僕たちは聴きたいレコードもそうそう容易に買う事
はできず、また現在のCDショップに置いてある試聴器のような便利なものも当然なが
ら存在しませんでしたので、必然的に聴きたいレコードはジャズ喫茶等でリクエスト
して聴かせてもらうという手段しかなかった訳です。大学入学して間もない僕は、
1974年4月に発売の「スイングジャーナル」誌でゴールドディスクとして大々的に取
り上げられているこのレコードをどうしても聴きたくなり、「だむハウス」でリクエ
ストをして初めてこのレコードを聴く事ができました。その時、「だむハウス」の薄
暗い店内に響き渡る“キャラバン”のメロディーに心動かされた事は、今でもまるで
昨日の出来事のように鮮明な記憶が蘇ってきます。Roy De Caravaによる黒人と白人
の少年を扱ったモノクロジャケットの出来ばえも素晴らしく、その後このレコードは
僕の愛聴盤の1枚となりました。このレコードはアメリカではRiversideの傍系
のJazzlandからジャケットを代えて再発されたという経緯があり、1990年代の前半に
当時六本木にあった「WAVE」がアナログレコードの発売を行なっていた際にボーナス
レコードとして、このレコードのJazzland再発ジャケット盤をプレゼントするという
粋な(と言うよりもおたくっぽい?)企画を催し、僕もJazzlandジャケット盤の方も入
手する事ができました。こちらのジャケットも3人のミュージシャンをあしらったシ
ンプルで出来の良いジャケットなのですが、どちらが良いかと言われると、僕はやは
り個人的な思い入れも含めてRiverside盤のジャケットの方に軍配を上げたいと思い
ます。
 この年の前年の1973年に、Kenny Drewはデンマークからの新興レーベルであ
るSteeple ChaseにベースのN. H. PedersenとのDuoアルバムを吹き込み、この作品
が1974年に至ってジャズ喫茶等で大ヒット作となりました。1980年代以降は日本のレ
コード会社の企画による大甘作品を連発して人生の晩節を汚したKenny Drewですが
(申し訳ございません!Kenny Drew様、言い過ぎでした!)、1974年すなわち僕が大
学1年生だった年を回顧すると、ジャズに関しては最もKenny Drewの思い出と重複し
た1年間だったと言うことができるように思います。従って、Riversideの「Kenny
Drew Trio」やSteeple Chaseの「Duo」を聴くと今でも、遠い昔に無くなってしまっ
た「だむハウス」や当時の北白川の街の光景等がありありと脳裏に浮び、僕はとても
懐かしい気分に浸ってしまうのです。
 ではまた来月、冷夏かと思っていたらここ数日急に暑くなり何とも過ごしにくい日々
ですが、皆様どうぞ暑さに負けずお過ごし下さい。
                             (2003年8月10日記)