連載第14回 Vladimir Shafranov日本初見参

 これで3ヶ月連続となりますが、またまた今月もライブレポートをお届けします。
2002年11月24日日曜日の夜、僕は改装なった大阪中之島中央公会堂へ、澤野工房
主催の「ユーロジャズルネッサンス2002コンサート」を聴きに行きました。当日の
僕のお目当ては、もちろんピアノのVladimir Shafranov。ジャズファンの方ならば、
ここ1〜2年間の日本ジャズシーンでの澤野工房およびVladimir Shafranov旋風に
関しては当然御存知と思います。
 元々、通天閣に程近い新世界の履物屋さんの御主人であった澤野由明さんはジャズ
好きが高じて、以前よりヨーロッパジャズレコードの復刻等を行われていました。
ところが、数年前よりこれらの復刻作品の中で、Jos Van Beestの“Because of
You”やVladimir Shafranovの“White Nights”といった大ヒット作品が生まれ、
これらの作品は大手輸入CDショップの月間売り上げ第1位をもマークするといった
次第で、澤野ブランドはジャズファンの間で大人気を得るようになりました。その
結果、現在では例えば神戸を例に挙げても、「Tower Record」・「HMV」・
「ヴァージンメガストア」の3大CDショップのすべてで、ジャズCD売り場では澤野
工房コーナーを独立して設けているような状況です。
 澤野工房による欧州ジャズの復刻作品はピアノトリオが中心であり、どれも甲乙つ
け難いような素晴らしい作品が目白押しですが、欧州のジャズピアニストというと例
えばEnrico Pieranunziに代表されるようなリリシズム溢れるエバンス派のピアニス
トが主体という印象であり、ハードバップ大好き派の僕としては必ずしもすべてが好
みという訳でもありません。そんな中にあって、今回の話題の主のVladimir Shafr
anovはヨーロッパのピアニストとは考えられないようなひたすらスイングするバピッ
シュなピアノであり、初めてCDを聴いた時以来僕はずっと彼に魅せられ続けている
のです。
 当日会場は超満員の観客でうめつくされており、舞台に立った澤野さんが、「めち
ゃくちゃ嬉しい。後で、泣いてしまうかも知れません」と話しておられた事がとても
印象的でした。そして、Jean-Philippe Viret Trio、Jos Van Beest Trio の演奏
に引き続いていよいよ本日の真打ちVladimir Shafranov Trioの出番となりました。
僕は既に澤野工房から発売されたVladimir Shafranov Trioのフィンランドのジャ
ズクラブでのライブDVDを購入していましたので、彼の風貌や演奏スタイルを見る
事は初めてではなかったのですが、それでも最近のmy favourite pianistの1人で
あるVladimir Shafranov と生で初めて接する事は僕にとって大きな喜びであり、
舞台に彼が姿を現わすや感動で胸が一杯になりました。そして、お馴染みのスタン
ダード中心の約40分間の演奏は瞬く間に過ぎ去ってしまい、もう少し彼の演奏を聴
きたい…との多少の消化不良を残しつつも、深い満足感と共にこの日のコンサートは
終了となりました。
 Vladimir Shafranovは1948年ロシアの生まれ。レニングラードでピアノを学び、
26歳時にフィンランドへ移住し、1980年に同国の市民権を取得したとの事です。
澤野工房からは4枚のCDと1枚のDVDが発売されていますが、このうち1981年に
フィンランドで録音された“Live at Groovy”と1990年に吹き込まれアメリカから
発売された“White Nights”は澤野工房から復刻されたものです。特に後者につい
ては、オリジナルCDを寺島靖国氏が自著で絶賛されたため、多くのファンが血眼に
なって探し求めたものの、日本に入荷した枚数が極端に少ないまま廃盤になり諦め
ざるを得なかったという経過があり、澤野工房から再発された時にはファン達の賞
賛を浴びました。そして、その後澤野工房から2枚の新録CD、すなわち1998年録
音の“Movin` Vova!”と2001年録音の“Portrait in Music”が発売され、さら
に2002年にはライブDVDまで出てしまうといった次第でまさに飛ぶ鳥を落とす勢
いです。
 ちょうどクリスマスイブの1ヶ月前に、サンタクロースの国フィンランドからや
って来たVladimir Shafranov のライブコンサート。それは僕にとって最高の、
少し早いサンタさんからのプレゼントと相成ったのでした。
 ではまた来月、新しい年を迎えて、皆様お仕事に勉強にジャズにと頑張っていき
ましょう。
                             (2003年1月10日 記)