「ヴォイスの客」はらすすのジャズよもやま話
連載第10回 Art PepperとTampa盤

 もし、“貴方の一番好きなアルトサックス奏者は誰ですか?”という質問を受けた
ら、僕はためらわずにArt Pepperの名前を挙げる事でしょう。基本的には、僕はファ
ンキーなハードバップジャズが好きなのに対して、Art Pepperのプレイは決してファ
ンキーとは言い難く僕の好みのジャズのスタイルとは少し異なるのですが、それでも
やっぱりArt Pepperが大好きなのです。彼のプレイを一言で表現するとしたら、
lyricalとかbrilliantとかという言葉が最も相応しいように思います。これらの言葉
を日本語に訳すと、“叙情的”とか“輝きのある”等と表現されますが、どうも今一
つピンとこず、日本語では彼の演奏のニュアンスを的確に伝える事は不可能なような
気がします。
 しかし、このような美しいアルトサックスの音色とは裏腹に、彼の人生自体はかな
り破滅的なものだったようで、今回のお話しの1973年頃にも彼はずっと麻薬療養所に
入所しているという状態でした。当時、ジャズを聴きはじめて1年余りの僕は、ジャ
ズ雑誌等の知識でArt Pepperという名前の素晴らしいアルトサックス奏者がいるとい
う事は知っていたのですが、多分実際に彼のプレイを耳にした事はなかったように記
憶しています。ちょうどその頃、すなわち1973年秋にビクターから、Art Pepperの2
枚のTampa盤である“Art Pepper Quartet”と“Marty Paich Quartet featuring Art
Pepper ”が発売されました。早速これらのレコードを聴いてみたいと僕が切望した
事は言うまでもありませんが、悲しいかな貧しい高校生の身の上、当時は悩みに悩ん
だ末に月に1枚か多くても2枚レコードを買うのが関の山という状態でした。また、
現在のようにCDショップへ行けば話題作や新譜が自由に視聴できるといったシステム
もなく、聴きたいレコードはジャズ喫茶へ行ってリクエストをして聴かせてもらうの
が一般的なスタイルでした。そこである日、三ノ宮にあった「さりげなく」というジャ
ズ喫茶へと赴き、“Art PepperのTampa盤を聴かせて欲しい”とリクエストしたとこ
ろ、マスターの国東さんは快くOKして下さいました。ところが、彼が取り出してきた
ジャケットを見ると、僕がスイングジャーナル誌を見て記憶していた2枚のレコード
のいずれのジャケットとも異なるものであり、“あれ〜。国東さん、他のレコードと
勘違いしているのでは無いのかなあ”と一瞬不安になってしまいました。しかし、ス
ピーカーから最初の一音が流れ出した途端、そのような不安は全く払拭されてしまい
ました。何故ならば、余りにも美しくかつ余りにもlyricalな音色のアルトサックス
による演奏が店内に響き渡り、僕は“プレーヤーの名前などどうでもいいや”という
気持ちですっかりその演奏にのめり込んでしまったからでした。レコードが終わった
後に改めてマスターに尋ねたところ、決して国東さんが間違っていた訳ではなく、
「さりげなく」にあったレコードはオリジナルのTampa盤ではなく、タイトルとジャ
ケットを変えてCharlie Parkerレーベルから再発されたレコードであり、「Pepper
Manne」と題されたそのレコードのA面は、確かにTampa盤の“Art Pepper Quartet”
の全7曲中4曲を収めたものでした。数年後、中古レコードショップへ行きいつもの
ようにレコード探しをしていた僕は、通称“エサ箱”の中に偶然このレコードを発見
しました。オリジナル盤ではないという理由からか、かなり安い値段が付けられてい
た事もあり、懐かしさも手伝って僕はこのレコードを購入し、以降今日までずっと保
存しています。ただこのレコードのB面はボンゴやコンガを交えたShelly Manneのグ
ループによる演奏を収めているのですが、この演奏の出所がどのレコードなのかにつ
いては全く判らず、未だに謎に被われたままです。
 その後、Art Pepperは1975年にジャズシーンへ復帰し、以降1982年に亡くなるまで
精力的に演奏活動を続け、多くレコーディングをこなしました。彼の復帰の際には、
往年のファン達は大歓迎で彼を迎えましたが、Art Pepperはシナノン(麻薬療養所)入
所中にJohn Coltraneの演奏スタイルを研究していたとの事で、復帰後の彼の演奏ス
タイルは以前とは一転したアグレッシブでハードなスタイルのものに変わっていまし
た。余りの変貌振りに、当時のジャズ雑誌等では復帰前のPepperと復帰後のPepperと
ではどちらが素晴らしいか等といった論争が盛んに行われたものでした。例えると、
ずっと片思いだった清楚で可憐な乙女に20年振りに出会ったところ、妖艶でお色気たっ
ぷりの熟女に変貌しており大ビックリといったところでしょうか?(ちょっと違うか?
)。僕としては、個人的にはlyricaでbrilliantな1950年代の演奏スタイルにより心惹
かれますが、ミュージシャンの演奏をその人自身の生きざまとして捉えるべきである
との見解に基づくと、演奏スタイルが時代と共に変っていくのも当然でしょうし、ま
た、こういった論争を行う事自体がナンセンスなのかも知れません。
 ではまた来月、9月とはいえまだまだ暑い日々が続きますが、皆様どうぞお元気で
お過ごし下さい。
                            (2002年9月10日 記)